2001年2月25日日曜日

【チャイコフスキーの交響曲を聴く】 アバド指揮 シカゴ響による第5番交響曲

交響曲第5番 ホ短調 作品64
指揮:クラウディオ・アバド
演奏:シカゴ交響楽団
録音:1985
SONY SRCR2013(国内盤) 

どういうときに演奏とシンクロしてしまうのか分からないが、マゼール盤から受けた印象は今考えてみても、自分でも予想外の反応であった。CDの感想に過度の思い入れを付与するスタンスが望ましいかは判断が分かれるだろう。もっとも、ある曲を聴くたびに深く心を動かされているのでは、私自身たまったものではないとも思う。

そこで頭を冷やす意味で、アバド・シカゴによる5番を聴いてみた。ご存知のようにアバド2度目の録音であり名演の誉れ高い演奏である。

アバドというと「燃えない指揮者」として嫌う人もいるらしく、また最近話題のベルリン・フィルとのベートーベン全集も、An die Musik の伊東さんは新しいベートーベンとして絶賛しているが、むしろ珍しい批評であり、この演奏を嫌う人が多いことをBBSで何度か目にした。アバドの録音と生演奏の差異に言及する人もいる。「結局生を聴かなければ分からない」と彼らは口をそろえる。

しかし、「レコード芸術」というのは生演奏とは一線を画するものであると思う。カラヤンのようなパッチワークであっても、それは確たる録音された演奏芸術なのだ。最近のCD海賊版ばやりやLIVEものの隆盛は、スタジオ録音の閉塞感を示しているのかもしれない。

さて、非常に前置きが長くなった。この演奏をずいぶん前に始めて聴いたとき、アバドファンには申し訳ない限りだが、「なんてあっさりした演奏なんだ」という印象で、オクラに入ってしまった盤であった。今回改めて聞いてみたが、シカゴ響の精緻な響きと、恐ろしいまでのアンサンブル良さは特筆ものである。とにかく上手い。弦、管、打楽器各セクションのバランスも良く、聴いていて非常に心地よい。後半部分の盛り上がりもなかなかすざまじく、適度なスリルとそれに相反する、ある種の安心感のある演奏というのが率直な感想である。

そう、よくも悪くも安心感なのだ。逆に言うと意外性がないと言っても良い。真っ当にこの曲を演奏しきっているが、いわゆるこのシンフォニーへの切込みが少ないと感じられるのだ。曲の強弱はあるし、盛り上がるところは十分に盛り上がっており迫力満点であるのだが、いわゆる聴く物に迫るドラマ性、音楽の持つ物語性が希薄なのである。

これは、アバドの曲に対する理解度などという素人が考えるような低レベルの問題ではないのだと思う。むしろアバドは意識的にこのような要素を排除したのではないかと考える。したがってマゼール盤のように驚き、そして知らないうちに感動で震えているという体験はここにはない。

誤解を招くといけないので、繰り返すが、演奏が良いとか悪いとかという問題ではないと思う。指揮者の曲に対するアプローチの仕方、接し方の一つなのではなかろうか。例えばカラヤン・ベルリン盤(75年)にしても、むしろ「美」というものを全面的に追求した演奏だと思う。アバドにもカラヤンと似たアプローチを感じることもあるのだが、彼ほどあざとくはない。

聴き終わった後の感想は、充実した深い満足感というよりも爽快さが勝る演奏であり、あるベクトルを考えたときには、類い稀なる名演だと思うのだ。先にも書いたが、いつでもマゼール盤で得たような感情の揺さぶりをかけられたのでは、曲を当分聴く気はなくなってしまうというものだ。良いか悪いかでなく、好きか嫌いかと問われれば「こういう演奏も悪くない」ということだ。

蛇足になるが、「お前は耳が聞こえんのか! この嵐のような感動を覚えんのか?」と憤慨するアバドファンもいるかと思う。所詮私の書くCDの感想など、聴くときの体調、空腹度、精神状況、または今までの先入観やら固定観念など様様なものに影響される流動的にして主観的なものであると思っているので、ご容赦願いたい。