2001年2月26日月曜日

【チャイコフスキーの交響曲を聴く】 ゲルギエフ指揮 ウィーン・フィルによる第5番交響曲

交響曲第5番 ホ短調 作品64
指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ
演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:7/1998 ザルツブルク音楽祭 
PHILIPS PHCP-11149(国内版)

こういう演奏を聴かされてしまったら、何を書けば良いというのであろうか。極めて音楽的な体験を言葉にした瞬間に、大事なものは手の中から零れ落ちてゆくというのに。

この盤は、ゲルギエフがウィーン・フィルを振った98年ザルツブルク音楽祭のライブ録音である。購入したのは、99年4月であった。まず、そのときの感想メモをそのまま引用した方が、この盤の温度が伝わるかもしれない。

以下メモより

今までのチャイ5を全て吹き飛ばすほどの圧倒的な迫力と音の塊。ただただ、ゲルギエフとウィーン・フィルに脱帽。途中何度も背筋がぞくぞくする感じを味わう。

とにかくぶったまげた。ウィーン・フィルも良くぞここまでゲルギエフの棒についてゆくものだ。ティンパニも物凄く、もはや絶句もののフィナーレ。演奏終了後、聴衆の怒号とさえ思える「ブラボー」と拍手に戦慄さえ覚えた。

カラヤンの眩暈のするような流麗な美しさではない、骨太の強いチャイ5がここにはある。癖とアクも強いから好みは分かれるかもしれないが、一聴の価値はある。

メモ終わり

本当にたまげたことを思い出した。ライブ録音ならではの迫力もある。しかし、それ以上にゲルギエフの、この曲に対する強い共感と熱いドラマが溢れる演奏である。

強弱の揺れもテンポの揺れもある、ダイナミックレンジの幅も広い。低弦とくにコントラバスの、弦が軋むかのような音や、破けるのではないかと思われるほどのティンパニーの轟き、そしてゲルギエフの息遣いまでが聴こえる。クレッシェンドからffへの盛り上がりは疾風怒涛の嵐だ。

ゲルギエフが、あのウィーン・フィルを自在に操っている。それも、Drive だの Ride だのの上品さではない。ゲルギエフの毛むくじゃらのゴリゴリした指揮に強引に引っ張られてゆくかのようだ。たとえば、何度も書いてきたマゼールとウィーンの演奏。「若造め、そんなにやりたいんなら、こうしてやるぞ!」みたいなところが見え、それが粗さとも聴こえる。ただし、そういうウィーン・フィルの上前をはねてしまったのがマゼールだった。ゲルギエフとウィーンは、ゲルギエフが完全にウィーン・フィルをねじ伏せ、軍門に下らせ、自分のオケにしてしまっているのだ。それでも破綻なくついてゆくウィーン・フィルの底知れなさには驚きを禁じえない。(当たっていないかもしれないが・・)

乱れはある、傷もある、出だしの合わないところもある。しかしライブな音楽だ、我々の聴いているのは。精緻な機械のようなアンサンブルを期待しているわけではない。

��楽章の出だし「運命のテーマ」からして、波のようにゆらいで聴こえる。ここを聴いただけで、ただ事ではないと感じさせるに十分である。楽章が進むにつれ、強い推進力とドラマへの期待は高まってゆく。畳み込むようなアッチェレランドは息を呑むばかりである。強大にして人智の及ばない運命の波は、怒涛のように押し寄せ聴くものを飲み込み翻弄する。そういうテーマが非常に良く語られている。

��楽章、出だしの低弦の憂愁を帯びたそれでいて底力のある音量、その晴れ間から見えるホルンの音色の何たる切なさよ。人生の中での喜びや愛、あるいは不安感の象徴なのか。運命のテーマの再現の前のアッチェレランド、後に続く部分の遅いテンポ設定は、運命の波に飲み込まれまいとしている姿と、解決を見出そうとしているチャイコフスキーの姿がだぶる。そこい覆い被さる残酷に口を開く運命の暗い蓋の出現・・・なんと見事な描出力か。この盤を聴くとマゼール盤と同じくホルンがチャイコフスキーの姿であり、弦の調べがそれに対する慰めや癒しであることがよく分かる。(本当は違うかもしれないよ)

��楽章はやや切迫した伴奏のリズムを強調しながら過ぎていく。弦の刻みは鋭く速い、ファゴットやオーボエのテーマも揺れる。しかしそれでいて優雅だ、艶やかさを失わない。

奏者が楽譜をめくる時間も惜むかのように4楽章に突入してゆく。堂々たる音躯、雄雄しい姿に変化した運命のテーマの出現。「どうだと!」言わんばかりに力瘤に満ちており、不安感は微塵もない。最初のうちは、まだ目をつぶっている静かさがある、ジャケットの裏のゲルギエフの顔そのもの。しかし2分過ぎから、硬く凍りついた大地に裂け目が生じるかのように、熱いマグマが溢れ出す。融けて流れ出す氷たち、一気に開花し突き抜け流れる。力強い奔流となって全てを飲み込み、有無を言わさす隙さえ与えない。

最後のフィナーレの入り方は勝利感以外何ものでもない。女々しさも不安も後悔も全て組み伏せ、雄たけびさえを伴った凱歌だ。1楽章は運命の奔流に翻弄されたが、この楽章に至っては逆に圧倒的なまでの生命力の渦に全てを飲み込んでしまっている。これを音楽的なドラマと言わずに何と言おうか。

し、しかし、またしても感情に流されすぎたCD試聴記を書いてしまった・・・・ああ、懲りない奴・・・