2002年7月18日木曜日

真夏近しの怪談見るおもひ~靖国神社の遊就館

産経新聞HPに「今週の正論」という欄がある。毎日の社説ではなく、週変わりで誰かに意見を書いてもらうというものだ。今週は、東京大学名誉教授 小堀 桂一郎氏による【教育施設としての新遊就館】 「歴史の声」に深く耳傾ける体験を ≪「約束の日」における決断?≫というものであった(産経新聞HPの記事は、今週を逃すともう有料版サイトでしか読めなくなる)。遊就館というのは靖国神社の戦争資料館で、7月13日に新装開館する「日本近代戦史博物館」である。

小堀氏はご存知の通り、産経新聞的主張のオピニオンリーダーであるため、小泉首相が靖国参拝することに賛意を示し、早く戦争贖罪意識を払拭すべきであるというのが大きな主張だ。彼の文章を引用することに生理的な抵抗や、禍禍しさを感じてしまうが、論理の主幹となる部分のみ紹介したい。戦争贖罪意識に関しての部分だ。

彼等(現官房長官とその一派)の姿勢の根元には北京政府への迎合の心情に加へて、どうしても振ひ落すことのできない負の歴史認識、つまり平成七年の村山謝罪談話と通底する所の戦争贖罪意識が伏在してゐる。この罪責感を払拭しない限り、対中位負け外交にせよ、悪評高き国立追悼施設推進の企みにせよ、彼等の陥つてゐる誤謬と迷妄を根底から正すことは難しいであらう。
それは謂(い)ふ所の東京裁判史観の呪(のろ)ひから未だ解放されてゐない人々であつて、彼等を如何にしてこの古びた魔語の呪縛から解き放つかが、現下の国民の教育といふ大問題の中の極めて重要な一項目になつてゐる。

そして、この主張の後に、遊就館の展示内容が《此処には「東京裁判史観」から遂に完全に絶縁し得た、自らの眼で見、自らの理知で判断した歴史観が展開されてゐる》と説明しているのだ。

こういう論理事態は珍しいものではない。探してみれば廻りにも似たような考えの方がみつかるものと思う。ところで遊就館というのがどういう場所なのか、わたしには初耳であったので、サイトで検索したところ、見つけることができた(2004年5月に確認したところ、2002年当時とはサイトのイメージが随分変わっている)。

トップページを見て先ず絶句、一瞬思考が停止した。戦闘機の絵が大きく飾られたトップページ、戦史博物館だものさもありなんと思いなおす。次に、大ホールの紹介を見る。ここでは「彗星」「回天」「桜花」「九十七式戦車」の四つの写真が掲示されている。どうやら実物が資料館にあるらしい。ここで、背筋が寒くなるのを覚えた。「回天」といえば人間魚雷、「桜花」といえば自爆ロケットではないか・・・・! さらに写真をクリックして現れる説明文を読むに至り、全身に冷水を浴びせ掛けられたような寒さを覚えた。まさに怪談を見る思いである。

戦争で亡くなった兵士(国民)の御霊を祭る、という発想を、その説明文からはわたしは読み取ることが全く出来なかった。「回天」の説明は、当時の技術と殺人兵器を賛美する姿勢しか感じない。その必死兵器によって日本の民族を、国土を、身を捨てて護らんと願い馳せ参じた若人たちと共に、次々と南溟に征き、再び還らなかった。 という文章から何を感じるだろう。わたしの説明を読むよりもアクセスして判断してもらいたい、入館料は取られないのだから。もしかしたら、実際は戦争の悲惨さを訴えた展示になっているのかもしれない。世界平和を希求する思想が貫かれているのかもしれない。機会があれば実際に確かめてみたいものだ。

それにしてもだ。前回わたしは、田中元長野県知事の問題を通して、「情報の非対称性」ということに言及した。今まで何度も8月15日を迎えてきた。そのたびに、なぜ靖国がこれほど問題になるのか理解できないでいた。小堀氏の意見と靖国のHPを見てもその思いは弱まらない。靖国を守ろうとしているのは何故なのか。

そして、それ以上に、靖国がこういう存在であるということを報道しないマスコミとは、いったい何なのだろう。一体わたしは何を知らないのかと、絶望の念にとらわれる。愚民には知らせずということか、あるいはわたしが鈍感で無知で幼稚なだけなのか。だとしたら、なんと成功している情報操作だろうか。靖国を訪れた人のサイトも見つけた。興味があればこちらも読んでもらいたい。



2004年5月4日の朝日新聞社説による紹介(全て引用)
■靖国神社――遊就館を訪れてみては
 連休の昼下がり、東京・九段の靖国神社では、初夏の日差しの中を人々がゆっくりと行き交っていた。時間が静かに流れ、自然と厳粛な気持ちになる。
 拝殿の前に掲げられた遺書を読む。「神州日本が、一億皇國臣民が一路驀進(まいしん)する光景を、姿をはっきりと見た 私は信念を得た 私は戦ふ」
 第2次大戦の末期、ハノイ近郊で戦死した29歳の陸軍大尉が書いたものだ。
 神社の一部をなす「遊就館(ゆうしゅうかん)」に入る。日常とはよりいっそう異なる空間だ。
 「今甦(よみがえ)る日本近代史の真実。戦争を知らない世代に伝えたいこの感動」とポスターが入館を誘うこの施設こそ、靖国の思想を凝縮したような場所である。
 この博物館の紹介にはこんな文章もある。「我が国の自存自衛のため、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがありました。それらの戦いに尊い命を捧(ささ)げられたのが英霊であり、その英霊の武勲、御遺徳を顕彰し……」
 展示されているのは、日清、日露戦争を経て「大東亜戦争」に至る日本の「武」の歴史だ。軍服や遺品、遺書など収蔵品は10万点に及ぶ。特攻機や人間魚雷「回天」といった兵器の陳列に目を奪われる。記録映画も「よく戦った日本」一色だ。そうした展示を通じて、国に殉じたことの尊さが強調される。
 「回天」搭乗員が出撃前に吹き込んだ録音を聴いた。「怨敵撃攘(おんてきげきじょう)せよ。おやじの、おじいさんの、ひいおじいさんの血が叫ぶ。血が叫ぶ」。雑音の向こうから聞こえてくる20歳の声は切ない。
 だが、館内を歩きながら奇妙な思いにとらわれる。ここでは時間が止まっている。英霊たちは今も戦い続けている。そんな強烈な印象が襲う。
 戦争には相手があった。しかし、展示や説明には、あくまでも当時の日本から見た敵国への憎悪や世界の姿があるだけだ。戦争をする日本を世界がどう見たのかという客観的な視点は、およそうかがえない。ただひたすら戦地に散った日本人の心の尊さをたたえるのだ。
 出口近くに来館者が感想を記すノートが置いてある。「息子は平和ぼけの日本に育ち、怠け者になっています。皆様が立派に守って下さった日本が今溶けかかっています」と書いた年配者がいた。
 「戦争を美化しているだけにしか思えない。すごく恐怖を覚えました」と綴(つづ)った19歳の大学生もいた。
 小泉首相の参拝写真もある。参拝は「自然な感情」と語る首相だが、見終わった所に飾られているだけに、靖国の歴史観を丸ごと認めているようにも映る。
 そんな遊就館を一度訪ねてみてはどうだろう。祀(まつ)られている死者を思う。同時に、そこに祀られていない死者のことも思いたい。空襲や原爆などで亡くなった日本人のことを。家族や国や民族を守るため日本軍と戦った他国の人々のことを。そして、首相がここに参拝することの意味をしばし考えてみたい。

■正論 東京大学名誉教授 小堀 桂一郎

【教育施設としての新遊就館】 「歴史の声」に深く耳傾ける体験を ≪「約束の日」における決断?≫

 四月二十一日の靖国神社春季例大祭清祓(きよばらい)の日に、首相就任以来二回目の公式参拝を果たされた小泉純一郎氏は、参拝は年一度で宜(よ)いと思ふ、本年は是で義理を果たした、といふ意味の発言をされた。それは本年の八月十五日停戦記念日の参拝についてはどうするお心算(つもり)か、との当然予想される質問に対して予めその回答を出されたとの意味にとれる。それは氏自身にとつても甚だ残念なことである。  と言ふのは、昨年八月十三日における小泉氏の参拝は、昭和六十一年八月の中曽根首相の対中屈服以来十六年の空白を置いてしまつた、我が国の国家主権の不可侵を証示する象徴的行為を十全に復活すべく、その寸前にまで迫り得た壮挙といつてよいものだつたからである。中国に対し、何らの引け目も有(も)たぬ、完全に対等の立場にたつての外交を爾後(じご)展開できる様になる、その機会を確立するのにあと一歩の押しが足りなかつた。しかし、その一歩の不足は今夏の「約束の日」における決断、そして参拝の実行を以て優に取返しをつけることは可能だ、と期待されてゐた。ところが国民の大多数が抱くこの期待を、総理は又しても自ら裏切らうとしてゐるかに見える。 ≪抜けない戦争贖罪意識≫  総理自身に英霊への畏敬の誠を捧げようとの心の丈(たけ)と、国家主権の尊厳を守らうとの気概があることはよくわかる。ただ北京への迎合に汲々たる現官房長官とその一派が総理の足を引張り、踏み出すべき一歩の妨害に是努めてゐるといふ事態が誰の眼にも明白である。彼等の姿勢の根元には北京政府への迎合の心情に加へて、どうしても振ひ落すことのできない負の歴史認識、つまり平成七年の村山謝罪談話と通底する所の戦争贖罪意識が伏在してゐる。この罪責感を払拭しない限り、対中位負け外交にせよ、悪評高き国立追悼施設推進の企みにせよ、彼等の陥つてゐる誤謬と迷妄を根底から正すことは難しいであらう。

 彼等と同じ錯迷に囚はれてゐる者は一般大衆の中にもその数はまだ多い。それは謂(い)ふ所の東京裁判史観の呪(のろ)ひから未だ解放されてゐない人々であつて、彼等を如何にしてこの古びた魔語の呪縛から解き放つかが、現下の国民の教育といふ大問題の中の極めて重要な一項目になつてゐる。 ≪これは「近代歴史博物館」だ≫  所で最近この緊要な課題の解決に資する甚だ有力な社会的手段が一つ提供されることになつた。それは靖国神社の境内なる遊就館が一年半を費した全面的な増改築工事を完了し、七月十三日のみたま祭前夜祭と日を同じうして新装開館の運びとなつたことである。遊就館の名称はその由来を聞かせられても、少々難しい命名だとの評が以前からあつた。その評を考慮して新開館のそれには「日本近代戦史博物館/遊就館」との説明的な付称がつくことになつたのだが、筆者はこれを「戦史」に拘泥(こだわ)ることなく、端的に「近代歴史博物館」と受取つてゐる。その内容も、広く国民一般が我が国の近代(大凡(おおよそ)黒船来航以降と考へて)の歴史の動きについて、極めて正確な、まさに然(し)かあるべき様な正しい知識を得ることができる、立派な教育施設として再生したものと評価したい。  現今の「博物館学」と呼ぶのが相応(ふさわ)しいのであらう、精密に体系化された展示・解説技術の水準の向上には実に眼覚しいものがある。小・中学生の見学者ならば、視聴覚的に色彩豊かで動きの多い、映画的手法を存分に駆使した展示に魅せられて、おそらく時間の経つのを忘れて館内を逍遥(しょうよう)し続けるだらう。成人の見学者にしても、その動的な展示と数多くの戦争記念物の「実物」に触れて尽きない興趣を覚えると同時に、効果的な展示の行間から切々と語りかけてくる「歴史の声」に深く耳傾けずにはゐられない思ひを経験するであらう。  筆者が靖国神社当局から依頼を受けたかの如き誤解を招くのも不本意なので、宣伝的辞句は控へておくが、とにかく一言しておきたいのは、此処には「東京裁判史観」から遂に完全に絶縁し得た、自らの眼で見、自らの理知で判断した歴史観が展開されてゐる、この一事である。加へて、同時代の国際社会が近代日本の歩みを如何に観察し、批評してゐたかといふ観点を十分に取込んであるのも賛成であるし、要所々々の説明には専門家による厳しい校閲を経たものといふ英訳文が付けられてゐるのも外国人見学者に親切な配慮である。八月半ばまで、日本全国が例年の如き歴史回顧の季節を経験する。新遊就館は疑ひもなく、その一の眼玉となり得るだらう。(こぼり けいいちろう)

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