2003年1月3日金曜日

櫻井よしこ:日本の危機


櫻井よしこさんは尊敬すべきジャーナリストであると私は信じている。昨年だと、彼女がかねてから反対している個人情報保護法案について、総務大臣とTV討論などを通してやりあっている姿が印象に残っている(確かサンデープロジェクトだったか)。彼女の静かでな語り口で事実を重ね相手を正す姿勢に対し、片山総務大臣は「(システムは)やれば便利なのが分かる、あんたもネットやITのプロでないくせに、ぐちゃぐちゃいうんでない」というような議論にもなっていないような回答しか出来ていなかったように覚えている。

この本を読むと、彼女が本当に怒っていること、そして「日本の危機」に対して大きな憂いを持っていることがひしひしと伝わってくる。頁を繰りながら、彼女の告発する事態のあまりの酷さに、それが事実であるならばと、わなわなと震えてしまうことを押さえることができない。

ひとえに言ってしまえば、日本の官僚中心の社会がかくも堕落し、全ての状況に閉塞感をもたらしている元凶なのかと、深い絶望に陥ってしまうのだ。官僚批判は何も櫻井さんの専売特許ではない。かつては、カレル・ヴァン・ウォルフレンも名著「日本/構造権力の謎」や「人間を幸福にしない日本というシステム」などで、官僚の弊害を端的に指摘していた。あれからいったい何年が経ったろうか。今でも書店に行けば官僚批判本は山と詰まれている。

彼女の本は、本の紹介でも引用したように確実な取材に基づいてなされている。理念だけを語っているわけではないため説得力は強い。取材対象にアンフェアな状況や不正や疑惑が見つかろうものならば、彼女は容赦なく批判している。その批判があまりにも的確なためか、あるいは鋭すぎるためか、「週刊新潮」に連載中に何度も関係者から内容証明郵便で記事内容に対する疑義や訂正を求められている。その経緯も彼女は丁寧に説明している。彼女の説明が真実であるとするならば、何と日本の政治家は姑息でしかないことか。

批判の対象は99年後半から2000年にかけての出来事だが、そのときと日本の状況は全くといっていいほど変わってないこと、いやむしろ(やはりというべきか)悪くなってさえいることに気付かされる。不良債権問題についても、北朝鮮問題にしても、教育問題にしてもしかりだ。2冊まとめて読むと、過去を振り返り現在を再認識できるとともに、やり場のない怒りと徒労感に蝕まれる。このままではやはり日本は国力を衰退させるしか道がないのかと。

しかし彼女は絶望はしていない。あとがきにもあるようにこの本は「解決への助走」と副題がつけられている。変革させてゆきたいというエネルギーが必要なのだと説く、前に踏み出す勇気が必要なのだと説く。先に述べたカレル・ヴァン・ウォルフレンも「行動的市民」になることを強く主張していた。しかし残念ながら、どちらのアジテーションも今のところは効を奏しているとは思えない。

この本の前に紹介した辺見庸さんにしても、精神的なカウンターバランスとして個人に機能するだけで、一種のガス抜きにしかなっていないという現実もあるかもしれない。しかし、しかしなのだ。もっと私たちは、自分達の身の回りのことに目を向け、アンフェアな状況、どう考えてもおかしいという状況に気付き、怒ることから始めたっていいのではなかろうか。貴方と私の意見がそこで食い違っても構わない。そのときはそこで避けることなく建設的な議論を戦わすべきなのではなかろうか。

櫻井さんの個々の考え方に対する賛同、反対を抜きにして、今一度、今の日本を考える上でのきっかけとなるべき本であると思う。

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