2003年3月20日木曜日

イラク空爆始まる

米英軍によるバグダット空爆が予想よりも速く始まった。今回の攻撃は巡航ミサイルと地中浸透爆弾(バンカーバスター)によるもので、あからさまにフセインを抹殺するために実施されたものだという。

私はこの報に接したとき、胃がせりあがり吐き気を伴うような不快感に襲われた。確かに米英はフセインに対し「亡命か大量破壊兵器全廃への全面的協力か」という最後通告を投げかけてはいた。しかしそれは、圧倒的に優位に立つ武力を見せつた一方的な脅しであり、相手に有無を言わせず逃げ場を断っておいてから攻撃をしかけた。私には公然と行われた公開処刑としか思えない。

このような暴力=国家殺人が、空想や予想や理論上だけのものではなく実際に行使されたと言うことに深い絶望の念を感じる。

私はフセインを是としているわけでも、彼を赦してやりたいというのでもない。英国ブレア首相がいくら「イラクの脅威」を熱弁したとしても、私はそれを実感をもって理解することができないでいる。それゆえにあまりにも不透明な武力行使は支持できない。一方で米英の国連決議なしの武力行使を批判することは簡単である。しかし、それにも全面的に乗ることができないでいる。武力行使に反対した先が見えないからだ。今回の問題に対して新しい世界観を思い描くことができない。

命の重要さは戦争反対派が唱える通りである。しかし時には命を賭けても守らなくてはならないものがあることも事実だろう。いま私たちが本当に守らなくてはならないものは何なのだろうか。

米英の圧倒的な武力をTVを通して目にし、またしても遂に一線を越えてしまったことを知るのみである。

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