2003年4月8日火曜日

乙一:天帝妖狐


いやあ、悪いことをしてしまった。乙一氏の「夏の花火と私の死体」のレビュだ。今一つ乗りきれなかったと書いてしまったのだが、この第二作は、はっきり言って面白かったよ。通勤中の電車で読んでいて、思わず駅を乗り過ごすところだったし(本当に慌てたよ)。

よく考えれば「夏の花火と私の死体」(以下、夏花)だって、死んだ人間が淡々と語るという点において確かに斬新であったと思い返す。

今回のふたつの小説は趣も味わいも異なっているのだが、作風は乙一氏のものだ。前者はジュブナイル風サイコサスペンス(ホラー?)、後者は少し時代を遡った雰囲気を出した、手紙の形態をとった作品だ。どちらもテンポ感がよく、ぐいぐいと読ませる。まだ20歳前半であろうから、エンターテイメント作家としての筆力は十分に持っていると思う。

「夏花」で考えた"イマイチ感"がどうして今回の作品で払拭されたのか。それは、表題作の「天帝妖狐」ではなく「A MASKED BALL」の着想において感心したからだ。舞台は高校のなか、あまり人気のないトイレでタバコを吸うことを日課として主人公が、ふとしたことからトイレの落書きをみつけるところから物語は始まる。

秀逸なのはそのラクガキが、今はやりのインターネットでのBBSを模したものになっている点だ。ラクガキのスレッドが続き、たわいのない日常を記したり、あるいは胸の奥を告白したり、そしては事件の予告があったりするわけだ。

考えてみれば、この設定だってちょっと変ではある。トイレにサインペンをわざわざ持ち込み、書いては消すことを繰り返す。消したにしても、だんだんタイルが汚れてしまわないのとか、ストーリーとは全く関係ないが最後の油性マジックのくだり(文庫本110頁)なども、乙一氏独特のご都合主義(ていうかあまり細部の矛盾にはこだわらない、おおらかさ)を見る思いだ。まあそれとて、ハリウッドほどではないかもしれないが。

表題作「天帝妖狐」も意欲作だ。夜木という主人公と杏子の二人の視点を交互に入れ替えて物語を進める手法、古風な語り口、そしてテーマとラストに至るストーリー。どれもが、どこかで読んだことがありそう・・・と思わせる点はあるものの、今風のサイコホラーもどきのテイストも混ぜながら一気に読ませる。

ラストのありようなどには(最期にお涙の感動シーンをもってくるところなど)、ちょっと自分の作風と作品に酔っているようなところを感じないわけではないのだが、まあ若いのだからそれもよしとしよう。このようなところは映画やTVの影響を感じる部分だ。(具体的にといわれても困る。どこかでT2と江戸川乱歩とトマス・ハリスを思い出していた、ということでご勘弁を)

まあ、他にも指摘する気になると変なところはあるのだが、わたしは編集者や評論家ではないのでもう止める。それらを差し置いても、この小説のテンポ感と内容は悪くない。乙一氏の好きな物語背景も日本的でよろしい。ということで、今回は楽しめました。今後も乙一さん頑張ってください。(え?こんなレビュでは内容が全くわからないって? まあ、いいではないですか。)

蛇足だが、解説を書いている我孫子武丸氏、「夏花」の解説を書いた小野不由美、"ジャンプ小説大賞"の選考委員の北村薫氏、綾辻行人氏、法月綸太郎氏・・・大賞の名を含めて、はじめて聞く名前ばかりだ。彼らが乙一氏の作品をべた褒めするさまが、同人誌かごくマニアックな世界でのできごとに見えてしまうのは、気のせいなんでしょうね・・・>バキ>(ホラー小説のレビュにこんなに活字使うものではないな)>バキバキ

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