2003年7月13日日曜日

東京交響楽団第505回定期演奏会

日時:2003年7月12日 18:00~
場所:サントリーホール

指揮:ユベール・スダーン   ピアノ:ゲルハルト・オピッツ
演奏:東京交響楽団

ブラームス:ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品83
ベートーベン:交響曲 第7番 イ長調 作品92




ピアノのオピッツ氏といえば、1994年のNHKテレビ「ベートーベンを弾く」という番組で出演されていたので知っている方も多いと思う。彼は「ドイツ・ピアノの正統派」としてその筋では有名である。そういう彼がブラームスのピアノ協奏曲第2番を演奏するというので期待してでかけた。
ブラームスのピアノ協奏曲第2番は、1番と違って明るく美しい曲であるが、「ドイツ正統派」がどういうことなのか全く理解していない私は、ガッチリと構成的で硬い演奏を思い浮かべていたのである。しかしオピッツ氏の奏でる音楽は、そんなイメージのものでは全くなかった。

この曲は冒頭で薄靄の中から立ちあがるホルンの響きと、それに導かれて登場するピアノのカデンツァが印象的だが、今日この部分を聴いた時、大げさではなく私はこのまま死んでもいいと思ってしまった。それほどの至福の音色が聴こえてきたのだ。オピッツ氏のピアノは風貌とも風評から抱いたイメージとも全く異なり、そっと撫でるような、あるいは天使がもらす溜息のような(ゲロゲロ!恥かしい表現!)柔らかなタッチで、全く私を別次元の世界へと誘ってしまったのであった。自我や自己を主張しすぎず、バックのオーケストラに柔らかく溶け込むかのような音色は、夢見るごときであった。

決してもって弱々しく女性的という演奏なのではない。締めるところは締め、そして感情の高まるところでは激しくあるのだが、全体的な印象としてはブラームスのアンニュイな感じや、優雅さ、そしてどこか懐かしんだり物思うような雰囲気が非常によく表現されているようで、そういう語りの部分がとにかくCDなどを聴いていては決して感じることができないような雰囲気として伝わってくるのだ。

そうなんだよなと思う。ブラームスは押し付けがましくないのだ。技巧をバリバリとひけらかしたり、力瘤をためて挑みかかるようなことはしないのだ。嗚呼、今までブラームスをベートーベンのように聴いてはいなかったか、と彼のピアノを聴いていて思った。

だからというわけではないが、3楽章はチェロの主旋律が美しいくチェロ協奏曲とでも言いたくなるような部分なのだが、オピッツ氏のピアニズムとは少し異なった表現に聴こてしまったのが惜しい。チェロの音色はふくよかで、それだけを取り出して聴くと全くもって実に素晴らしい演奏なのだが、オピッツ氏のピアノと対話する部分になると、違った話しをしているように聴こえてしまったというのは、私だけの感想だろうか。

満足いかなかったのはそこだけで、全体にピアノを中心とした懐古や対話、そして訥訥とした語りなどを、明るい光の注ぐ部屋で、香り高い紅茶でも飲みながら聞いているような、あるいは寄せては返す波を見ているような、激しすぎずに流れる奔流か、色々なイメージや光を見せてくれる演奏であった。激しい感動ではないが、深い心地よさにブラボー!

さて、お次はベートーベンの第7シンフォニーだ。第一楽章を聴いていて私は思わず笑ってしまった。演奏にではない、こんなに単純にしてくどいフレーズの繰り返しなのに、期待して高ぶってしまう自分がおかしく、そして何とブラームスとは異なるのだろうと改めて思ったのだ。

スダーン氏の指揮に注目すると、彼の指揮は非常に分かりやすいように思えた。キビキビと弾ける様に奏でて欲しい時には、あたかもバスケットボールのショートパスのような振りで指示を投げかける。第2楽章では、主旋律が重々しいテーマを奏でるとき、ビオラなどが裏旋律を奏でるのだが、スダーン氏は主旋律の方は見向きもせず、ビオラにガシと正面から対峙し音を引き出してくる。そういう指揮振りから音楽が多重的かつ立体的に浮き上がってくる。

まあそれ以外にもイロイロあるのだが、ベト7には細かいことはいらない(^^;; 小気味良く歯切れの良い音楽がビュンビュン進んで行くことを楽しめればよいとも思う。スダーン氏の指揮においても、この軽快さは第3楽章からラストまで延々と続く。あたかもはずみ車が、慣性によって一度廻り始めたらもはや止まらないとでもいうかのようだ。非常に健康的な感情の発露を全身で表現しているかのようで、例えばかりで恐縮だが(悪文の典型ってやつだな)陸上の400m走のように、ひと時も力を抜かずに走り抜けたかのような感じを受けた。

実際、弦セクションは猛働きであったようで、演奏が終了し拍手喝采を浴びているときに、コンマスの大谷さんは汗を拭うような仕草をしていたし、大谷さんの隣の奏者は「手がしびれちゃいましたよ」みたいな仕草で大谷さんに笑いかけていた。

東京交響楽団を聴くのは今日が二度目なのだが、ヴァイオリンセクションの上手さには改めて感嘆した。少しハイキーで透明な感じの音色を特色とし、特に弱音での美しさが際立つ。ブラームスで聴かれた、ピアノをバックに静かに裏で支えている部分など、涙ものの美しさだった。ヴァイオリンだけではないが、フレーズの出だしのアンサンブルの合い方は、若々しさと小気味良ささえ感じる、実に丁寧だ。そして演奏からは音楽以上の、いや音楽というものの喜びそのものが伝わってくるような気がするのだ。それがコンマスの大谷さんのキャラクターによるものなのか、このオーケストラを育てた秋山和慶氏の影響なのか、それは分からない。

今日は定期演奏会ではあったが、明日は新潟公演になる。それだからだろうか、アンコールにはシューベルトの「ロザムンデ」から第3楽章が演奏された。アンコールについて語るのはもはや野暮というものであろう。

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