2004年1月4日日曜日

高村薫:照柿



「照柿」。"てりがき"と読むのだそうだ。高村氏の小説の中では、一般的にあまり人気がないようだ。内容が暗く、そして重いとのこと。高村氏の小説を読み難いという人は多いが、この小説はその最たるものらしい。


しかし、私の中では、この小説の持つ意味は大きい。ベストセラーとなった「レディ・ジョーカー」も凄まじい小説であったとは思うが、もしかするとこちらの小説のほうが、純度と内容が濃いのではと思わせるものがある。現代の「罪と罰」と帯にはある。成る程、そういう見方もあるのかと。付け加えるならば、間違ってもこの小説は「ミステリー」ではない。




舞台は東京と大阪。8月の狂いそうになる暑さの夏。合田雄一郎(「マーククスの山」や「レディ・ジョーカー」でお馴染みの)は、たまたま乗り合わせた電車の人身事故(飛び込み自殺)に遭遇する。そして、そこで一瞬出会った美保子に一目惚れしてしまうところから話は始まる。


高村氏が女性を、しかも「男女の愛情」を書くというのも珍しいが、彼女が書くとこういう小説になってしまうのかと、私は愕然としてしまった。18年振りに会った旧友の達夫が、なぜ殺人を犯すこととなるのかというもうひとつ大きな軸もあるのだが、私にはこの小説は「解体」の物語と読めてならない。


何の解体か、言わずもがな「合田雄一郎」の解体だ。その意味から、小説の中の二つの轢死事件は、肉体の解体と死滅が、合田自身の精神的解体の物語の暗喩となっているように思える。熱心な高村小説あるいは合田ファンには、本小説で合田が「崩れていく」様を見るのがつら言うが、それは当たらない。むしろ辛いのは、そこまでに至る意志の厳しさだ。


「解体」とは、すべての内実を曝け出し、脱ぎ捨て、そして解体の後には、別の何ものかになることを示唆している。解体されたのは、合田だけではなく達夫もしかり、二人の間での激しい愛憎がスパークし、何者かに変わった(あるいは戻って何かを取り戻した)のかもしれない。自分をギリギリまで見据え、それでも自己を解放しさる軽々しさと重々しさ。高村氏の小説に一貫して共通するテーマ。


高村氏は、この小説の中で、ダンテの「神曲」のくだりを引き合いに出す。


「痛恨は悔悛の秘跡の始まりだから、喜べばいいんだ。突然魂を襲う意志こそ浄化の唯一の証拠だ……と言ったのはダンテの……」(加納)

「スタティウスが、ダンテとヴェルギリウスに言うんだ。煉獄の何番目かの岩廊で」(雄一郎)
「意志だよ、意志。すべては。」

「意志のお化けだもんな、あんたは」
(P.254)


��冷静に考えると、義兄弟でこんな会話をする二人こそ「お化け」に見えなくもないが)合田と達夫は「地獄」「煉獄」を経て「天国」を見ることができたのだろうか。ラスト491頁から最後までは、涙なくして読めない。そうくるだろうなと分かっていてもだ。