2004年1月18日日曜日

正高 信男:ケータイを持ったサル



正高信男氏は京都大学 霊長類研究所教授にして比較行動学の研究者である。サルの研究にいそしんできた正高氏が、比較行動学の手法を用いて現在のケータイに依存した若者と、それを生み出した家庭環境、ひいては日本社会を鋭く分析して見せた書である。


「ケータイを持ったサル」という少々過激なタイトルに、若者を侮蔑するような響きを感じる方も居るかもしれないが、読み進めると、週刊誌にあるような単純な若者嫌悪や批判とは全く論旨を異にしていることに気づく。特に氏の得意とする研究分野でのサルの行動との比較や、データを用いた若者や家庭分析がユニークである。





例えばメル友を300人以上持つグループと、ケータイを持たないグループでの簡単な投資ゲームの結果が第4章(「関係できない症候群」の蔓延)に記されている。いわゆるゲーム理論の「囚人のジレンマ」である。ゲームの参加者は2名、利益を確保するために相手を信頼あるいは裏切る選択を迫られるシミュレーションだ。この結果は私には驚くべきものであった。両グループで、これほど如実に差があるのかと、少し薄ら寒くなる思いさえした。詳しくは本書を読んでもらいたい。


正高氏は、ケータイでメル友と繋がらずにはいられない若者と、ルーズソックスに踵を踏み潰した靴で闊歩する若者を、公共領域に出ることの拒絶と捕らえ、その背景を「子供中心主義」で子供たちを育ててきた、家庭環境、ひいては日本社会にあると論理を敷衍してゆく。子供中心主義や「親離れしない子」「子離れできない親」ということも、正高氏が始めて言ったことではないが、一連の論理の中では説得力がある。


ちなみに、メル友で繋がる若者を「サル」と称するのは、ごく単純なコミュニケーション手段を用いて、連帯感を確認する行為はサルにも認められる行為であり、自分の属する集団から一生離れて生活することの稀なサルと似ていると見るからである。


イメージや感覚だけで述べた本ではないため、読んでいて明快である。氏の結論に同意できるか否かは個人によって様々だろうが、私には頷ける点も多く面白く読むことができた。