2004年2月6日金曜日

森永卓郎:続年収300万円時代を生き抜く経済学

題名の通り続編です。読んでみますと前編の実践編ということになりましょうか。


森永は金持ちなのにどうしてそういう本を書くのか、というキモチは私も持ちましたが、そう思った読者の方は多かったようです。




前作を読んで成る程と思う反面、ちょっと違うなあということも感じたのですが、共感できる部分も多かったため、ついでに続編である本書も読んでみました。前書が2003年3月1日発行、本書が11月25日発行ですからその間約半年程度しか経っていません。ですから森永氏の経済に対する考え方には全く変化はありません。(むしろ半年の間で経済状況は悪化していると指摘していますが。)


そういう本書のテーマは「まえがき」の以下の部分に要約されています。


前作を読んでいただいた方々から、たくさんのご意見をいただいた。[...] 一つは、具体的にどのような対策をとれば年収300万円で暮らせるのか教えて欲しいというもので、もう一つは年収300万円で暮らせると言いながら、実は森永は金持ちではないかというご批判だった。(P.4)


このように書かれていますので、前編の実践編というふうになりましょうか。森永氏は所得格差は絶対に進む、数年後には必ず意図的なデフレ脱却が起こり土地や資産は上昇し、そうなったらもう日本は過去のような皆が平等であった時代には二度と戻れないと警鐘を発しています。


彼はそういう市場原理と戦っていくという姿勢よりも、300万円で身の丈にあった生活をした方が人間的な生活を回復できますよと説いているのです。第4章で森永氏で自らの前書の書評を紹介していますが、まさに「『逃散』の勧め」というわけです。ですから、そういう生活を選択した方々の生活ぶりについても第3章「心豊かなライフスタイルを模索し実践する人たち」として紹介しています。


ちょっと違うのではと思うのは、世の中が1億以上稼ぐ社会の数パーセントの人と、社会の6割り程度を占める年収300万円代の人と、年収100万円以下の三つの層に分化するということでしょうか。(P.65) 確かにアメリカ社会は数パーセントの超金持ちと一般の人に分化しているという話は聞きますが、本当にそうなるのかとなると、鈍いせいか実感を伴いません。それでも彼は書きます。


一つだけどうしても言っておきたいのは、「これから日本が市場原理主体の社会に変貌するなかで、能力や成果が政党に評価されるようになるのだから、きちんと仕事で成果を出していけば、それが出世に結びついていく」と考えるのは、完全な誤りだということだ。(P.235)

会社生活にはもはや夢も希望もないと言い切っているのと同じです。会社の中で「ラットレース」を繰り返し身も心もボロボロにするよりもっと豊かに暮らせというのですが、確かに会社生活は厳しい面もありますが、皆そこの中で自己実現を重ねてきているわけです。急にそういう人生を止めなさいと言われても、実のところ戸惑うばかりです。自分の足元の階段をはずされるようなものですから。


森永氏の考え方に同調できる部分も実は多いだけに考えどころです。思うに、日本の会社勤めの人の大部分はあまりにも忙しすぎ、家庭はおろか、近隣や社会、自国の政治、さらには国際社会としての役割に、個人的に関わっている時間がないと感じています。あるいはすごく忙しく働くことが、社会やその他の人たちと直接結びついている人たちは幸せかもしれません。多くの会社勤めの人は、自分の成果を社会に還元して納得できにくくなっているのではないでしょうか。


会社勤めはどんなに頑張っても、役員や顧問にならない限り長くて60歳で定年です。リストラ後の再就職がままならないように、普通の会社勤めの人が、そこでのキャリアを定年後にも生かせる機会は稀有と言ってよいでしょう。会社という肩書きを外れた個人として、自分が自分以外のものとの繋がりが薄すぎることが日本人とそして日本の最大の不幸なのかもしれないと思うこのごろです。