2004年3月17日水曜日

何のために戦うのか

他国が我が国の利益を侵略しそうになった場合、戦うかといわれた場合、普通であれば「断固として戦う」と答えるべきなのでしょうか。例えば第二次世界大戦での敗戦国であるドイツや、隣国の韓国と比較しても日本は「戦う」と答える人が少ないという話を聞いたことがあります。以下は私の疑問です。



何のために戦うのか?



さて「戦う」とした場合なのですが、戦うのは何のために戦うのでしょう。自分の家族や財産を守るのは当然としても、それ以外に何を守るのでしょうか。「私は日本が好きですから」と「戦う」ことを是とする人は答えるでしょう。愛すべき日本とは具体的に何を指すのでしょう。四季豊かな自然、細やかな日本の情緒、安全と豊かさと住みやすさ、基本的な保護された人権、たてまえとしての平等、民族や階級などの差別や格差や貧富の差の少なさ、スラムや犯罪の少なさ、テロなどのなさ、などでしょうか。総じて世界の他の国よりも、まだまだ日本はムラ社会的であり安全で住みやすいようです。(そのどれもが変質しつつあるのが現代の日本のようですが)


では、これらは他国に侵略されたら失われてしまうものなのでしょうか。現在もあちこちで民族自立の動きは盛んですから、侵略された小国の気持ちは分らないかもしれません。一番守りたいのは、日本人としての「誇り」なのかもしれません。こういうものをまとめて「愛国心」と呼ぶのでしょうか。


ただ、守るべきものが国家であるという考えは、ちょっと考えてしまいます。「愛すべき日本」の姿とは少しずつ違う方向に動いているのが現在の日本ではないでしょうか。また享受している「安全と豊かさ」も、何に拠って実現されているのか考える必要もあるでしょう。現在の政権あっての日本であるとしても、ホンネとしては現在の政権を守るためには誰も戦わないのではないかなと、ふと思ったのでありました。

国際貢献って何なのか?



現在のイラク派兵やPKOというのは「国際貢献」と目的での軍隊の派遣です。国際協力という枠組みの中での軍隊の役割と防衛のための軍隊の役割というのは、分けて考えるべきなのかもしれません。国際協力に対する意味と目的というのも十分に議論されなくてはなりませんが。


さて、国際貢献という名のもとで海外に派兵しますが、テロに対しては「武器の使用」でも「武力の行使」でもどちらでも良いのですが、自分達が死なないために武器を相手に突きつけることになりますよね。さて、テロリストという定義も実は非常にあやふやなものなのですが、テロリストが「自分たちの権利を守るため」に戦っている以上、それが国際的に許される行為だろうとなかろうと、逆転して考えた場合、立場は同じなのではないかと思うのです。価値観が違うだけということで。

他国の救済と復興とは?



さて、そう考えると私には「戦う大義」や目的が見えなくなってきます。フセインや金日成は「絶対悪」であるから、また政権下の民衆は圧制を強いられ、恐怖と困窮に喘いでいるので、政権は倒さなくてはならない、独裁者は殺さなくてはならない、ということでしょうか。


でも誰も表立って「北朝鮮政権を早期に転覆させ一刻も早く民衆を解放すべし」とは主張しませんよね。国家の主権に関わる問題だからでしょうか。「倒すべき動かしがたい事実」が不足しているからでしょうか。今回のアフガニスタンにしてもイラクにしても、植民地支配の時の考え方、大東亜共栄圏とかいって、欧米諸国の植民地支配からアジアを開放すると主張した考えと、実は何も変わっていないのではないかと考えるわけです。


勉強不足な私は、そもそも自衛隊の「国際貢献」というのが、具体的には何を成し遂げているのか、いまだ理解しておりません。