2004年4月18日日曜日

許光俊:「生きていくためのクラシック」


以前『世界最高のクラシック』という本を紹介しましたが、これはその続編です。タイトルも『世界最高のクラシック 第Ⅱ章』とされています。それにしても、『世界最高』だの『生きていくための』とは、何とも大げさです。

許氏は『最初に』で『なぜ、私は「世界最高」にこだわるのか』と自問し、それに対し以下のように自答しています。





私の生は、もう十分に退屈で、つまらないからである。平凡で、卑俗だからである。

生が何が何でも生きるに値するものとは、どうしても考えられないからである。


だから「世界最高」にこだわるのだと、『生きるための自己弁護』が必要で、生きるに足る人生であることを確信するために例えば最高の音楽が必要なんだと。


許氏は1965年生まれで私よりも年下ですが、なぜそのような諦念を持っているのか全く理解に苦しみますし、彼の諦観につきあうほど私は情緒的人間ではありません。それでも許氏独特の観点からセレクトされた演奏がどういうものであるかは、暇な休日や苦痛でしかない夜の通勤電車の中での慰みにはなります。


この本で紹介しているのは、あるテーマを定めて(例えば第4章「岩のブルックナーと絹のブルックナー」というように)いくつかの演奏を対比して解説しています。彼が「生きていくための」と自信を持って主張するだけあって、掲載されている演奏はベタ褒めです。文章を読んでいるだけでいたたまれなくなり、すぐにでもCD店で求めたくなってしまうような書きぶりでして、聴かずに死ねるかという気にさせてくれます。(ただ、それが延々と続くので閉口するのですが)


一方で以下のような辛らつな文章も彼ならではでしょうか。


��ベルティーニは何故)世界的に見れば幼児レベルでしかない日本のオーケストラを指揮しているのか。また、虚名ばかりのろくでもない指揮者たちがクズのようなCDを作り続けている一方、ベルティーニの録音が著しく少ないのはなぜなのか。


ごめんなさい、私は「幼児レベル」の日本のオケにも、「クズのような」商業主義の演奏にも感動してしまいます。許氏のような選別耳も知識もありません。


ということで、彼が「生きてゆくため」に必要とした指揮者は以下です。(『世界最高のクラシック』で紹介している識者は、ほぼ避けられています)

リヒター、パイヤール、クリスティ、ジュリーニ、コルボ、ショルティ、スヴェトラーノフ、マタチッチ、レーグナー、マルティノン、ベルティーニ、クーベリック、ムラヴィンスキー、アーノンクール、ケーゲル、ザンデルリンク、セル、パティス、パーンスタイン、ベーム。