2004年5月18日火曜日

年金ドミノ


年金加入に関する未納・未加入問題が「年金ドミノ」となって政治的混乱と政治不信を招いています。未納・未加入問題が本来の議論とかけ離れたものになりつつあるため、本来の年金改革という議論が出来ないことこそ問題という論調が出るのも当然です。


ただし、ここまでこじれてしまったのは政治家の認識の甘さと、それをセンセーショナルに報道し続けてたマスコミの態度にあるわけでして、どちらも「落とし前」は付けてもらいたいものです。




年金制度の是非云々よりも、もはやぬぐいがたいほどの年金不信と政治不信、政治家不信を招いた議員たちが、果たしてこのまま国民の代表であるなどと言い続ける事ができるのでしょうか、というより、議員というのは日本の「どこの」代表であるのかということさえ、茫洋としてしまったわけです。何故なら、サラリーマンの私とは意識の点でも同じ土俵にいないことが又しても明らかになってしまったのですから。


茶番と泥仕合を見せられた国民は、怒ることも諦めることもできずに、希望も期待も政治に見出せない状況なのに、それに拘泥することで、その先に何か建設的な議論が始まるのでしょうか。


産経新聞は18日の社説(主張)で、


首相は年金未加入問題で同じように政治責任を取るべきではないだろう。最大野党の代表と一国の宰相との責任の重みは比べるべくもなく、別個のものだからだ。


とし、小沢氏のような責任の取り方について否定的です。むしろ『本来の課題に議論戻そう』として、年金改革法案の廃案を含め、具体的な検討を進めるべきとしています。

朝日新聞は、同日の社説で、


いま求められているのは、国会議員の未納・未加入の全容を示し、そのうえで悪質な議員は責任を明らかにすることだ。こうしたミスが起きないようにする仕組み作りも喫緊の課題である。


としています。どちらも是なのですが、私には脱力感だけしかありません。どうしてくれるんですか、この「脱力感」を。