2004年8月21日土曜日

ベルンハルト・シュリンク:朗読者

『現代ドイツ文学の旗手による、世界中を感動させた大ベストセラー』


私はベストセラーというものに余り信を置いていないのですが、薄い本だし、夏だし、パンダも欲しいし、ということで読んでみました。内容は全く当初の予想を裏切るほどの内容でした。ドイツでは今でもこういうテーマで本が書かれるのですね。

読まれていない方でもギリギリ許容できるレビュとしました。できれば、私のレビュなど読まずに書店へ(笑)




世界中が涙したという名作ですが、主人公15歳のときの初めての体験からして、将来的な喪失感が予感されています。ふたりの関係が性愛的にして不道徳であるとか、年齢不相応であるとか、そういうことからではなく、逆に二人の関係が、それぞれ求めるものが全く違っているにも関わらず、ピュアすぎるだけに、それは長くは続かないことを予感させるのです。


前半でのハンナはあまりにも謎めいています。彼女には確たる自分と固い殻のような他人には決して明け渡さない暗い自我が感じられ、それが更に、彼女が教育をまともに受けてこられなかった境遇と合わせると、少年に何を求めていたのかが、哀しいほどに伝わってきます。


ぼくは、自分が学校をさぼっていることを彼女に話した。

「出て行きなさい」

彼女は掛け布団をはねのけた。

「わたしのベットから出てって。そして、勉強しないんだったら、もう来ないで。勉強がバカみたいだって?バカ?あんた、切符を売ったり穴をあけたりすることがどんなことかわかっているの」
(Ⅰ章 P.42)


この後から少年の「朗読」が始まるのですが、すでに彼女のひとつの秘密が分かってしまいます。そだけに、主人公の少年がそれに気付かないのが鈍く、相手の哀しさが理解できていないのが歯がゆく、相手の脆さが自分の幸福で見えなくなっているのが若すぎると思えてしまいます。そして、少年は当然の帰結として彼女と不本意な別れを経験することになります。


しかし、それだけなら単なる一風変わった苦い恋愛物語で終わってしまうのですが、作品の第二章では、女性の驚くべき過去が明らかになります。私は展開の意外さに最初ついていけませんでしたが、ここにテーマの主眼がある以上、作品は幾重にも枝分かれし、ドイツ人のみならず日本人にも、そして歴史などに興味のない人へも、様々なテーマを投げかけることになりました。それは「戦争犯罪」ということと「他者への理解と受容」ということです。


少年と年長者の恋ということに始まり、過去の罪をどう考えるか、過去に罪を犯した人を愛してしまった人はどうしたらいいのか、そもそも過去の罪を現在の基準で裁けるものなのか、戦争犯罪に対し戦争を経験していない現代の人はどうするのだろうか、あるいは、過去の恋人に対する不誠実を自分のなかでどう処理してゆくのか、さらには、個人の尊厳とは、相手を理解するとは、愛するとはどういうことなのか、などなど・・・


この本はミステリーではありませんが、やはり本書は予備知識なしにまず読まれ、そして再読されるような本なのだと思いますので、詳細には触れられませんが、彼女の以下の言葉がいつまでも残ります。


「わたしは・・・・・・わたしが言いたいのは・・・・・・あなただったら何をしましたか?」

��Ⅱ章 P.129)


主人公の女性に対する接し方につては、彼が半生に渡って彼女を理解しようと努め続けていたにも関わらず、どこかに不誠実さが残ります。彼が法律を専門としていた者でありながら、法史学者とい職業を選択したように、どこか逃避的なのです。


あなたは人生への挑戦と責任から逃げている、とゲートルートは言った。彼女の言うことはもっともだ。ぼくは逃げたのだし、逃げることができてほっとしていた。
��Ⅲ章 P.205)

彼が自分のことと彼女のことについて『ぼくはハンナを裏切ったのだろうか。ぼくはハンナに借りがあるのだろうか。ぼくは彼女を愛したことで罪ある者となったのだろうか。ぼくは彼女の思い出から離れるべきなのだろうか(Ⅲ章 P.245)』と悩んでいても、時に自己弁護的であります。しかし、もし私が「あたなだったら何をしたか」と問いかけられると、答えに窮してしまいます。だから以下の言葉も冷徹に突き刺さります。


「そしていまこの瞬間、わたしはシュミッツ(ハンナ)さんにもあなたにも腹を立てています。でも、もう行きましょう。」

��Ⅲ章 P.236)


ハンナの最後に取った行動には意見が分かれるかも知れません。しかしこれとて、当初からこの帰結しかないということころに落ち着いています。彼女の行動は、彼女自身の尊厳と、彼への純粋な愛を守るために取った行動であるのだと思います。従って、これ以上の帰結がありえようかと言う点において、作者も本件がフィクションであるならば予定調和的です。そして、それが最大の悲劇です。


それでも主人公を責めることなどは、到底できないのではあります。主人公はこれからも自分に対し問い続けるでしょうから。


通読するに「世界中を感動」というフレーズには疑問を感じます。色々な読まれ方をするでしょうが、お涙ものの感動大作ではないと思います。日本人である私には、このような作品が今もドイツで書かれることに対しては驚き以外の何物ではなく、話しは全くそれてしまいますが、サッカーアジア杯での観客による反日行動の源泉について、ふと考えてしまいました。