2004年12月27日月曜日

キーシン/ムソルグスキー:展覧会の絵

今年もいよいよ残すところ後数日になってしまいました。明日は個人的な忘年会を二つ掛け持ちして、怒涛の師走が終了します。ブログの方も、これがが本年最後のエントリーになりそうです。

キーシン
ムソルグスキー:展覧会の絵
トッカータ,アダージョとフーガ ハ長調BWV564(バッハ/ブゾーニ編)
ひばり(グリンカ/バラキレフ編)
組曲「展覧会の絵」(ムソルグスキー)
キーシン(p)
2001年8月4,5日、フライブルク
RCA 09026.63884

この録音は2001年7月&8月フライブルクでのスタジオ録音ですが、こんなに分厚くも手ごたえのある「展覧会の絵」を聴かされてしまっては、完全に打ちのめされてしまうしかありません。とにかく凄いの一言に尽き、何を書くべきかキーを打つ手が止まってしまいます。

凄いと言えばアファナシエフの演奏も鬼気迫るものでしたが、こちらは彼のクセが強烈すぎムソルグスキーを題材にした彼のオリジナル演目を聴かされているような気にさせられてしまうことも否定できません。

対してキーシンの演奏には、いかほどのこけおどしもなく、ただ曲そのものへの深い共感と愛情と理解をもって、真正面から取り組んでいるような純粋さが感じられます。純粋ではあっても、若者の持つ未熟さなどは全く超越しており、逆に巨匠然とした堂々たる響きに深い感動を覚えます。

録音が秀逸なのでしょうか、ダイナミックレンジも極めて広く、大音量のときの壮大さ、ピアニッシモでの震えるような美しさが、余すところなく伝えられます。音には一点の濁りもなく、音が重なり壮烈なる音列を演じている時にさえ、各音それぞれが明確であるのはテクニックの冴えなのでしょうか。冴えてはいても、テクニックに没することはなく、ひとつひとつの曲の違いを抉り出すかのような表現力によって、改めてこの曲の持つ魅力と凄みを感じさせてくれます。

冒頭の"プロムナード"が終わってからの"グノームス"でのグロテスクな表情付など、そして回遊する"プロムナード"での色彩の変化、最初の数曲を聴くだけで、ピアノという楽器の底知れぬ性能とそれを引き出すキーシンの腕に脱帽するしかありません。続く"古城"ときたら、静謐さと叙情と哀しみと美しさを称えた涙モノの曲に仕上がっています。

とにかく全てが凄いのですが、特筆すべきは弱音部の美しさでしょうか。例えば"カタコンブ"に続く"死者による死者の言葉で"の部分におけるトレモロなど戦慄さえ感じます。

An die Musikのでもこの曲の感想が掲載されていますが、

ピアノ版を聴いていると、いつもはどうしてもラヴェル編曲による華麗な管弦楽曲版を思い描いてしまうものだが、キーシン盤ではまずそのようなことがない。
ということに全面的に賛同します。聴き終わったあとの深い満足感は格別です。

ブゾーニの編曲によるバッハの有名オルガン作品《トッカータ、アダージョとフーガBWV564》も見事としか言いようがありませんが、こちらは余り馴染みの曲ではありませんので感想は割愛します。

時間があったら、少しまとめてキーシンで聴いてみたいという気になりました。