2005年3月13日日曜日

近江源氏先陣館 坂本城の段


「近江源氏先陣館」の「和田兵衛上使の段」の前は「坂本城の段」です。WEBにテキストがあるので参照してみましょう。


この段は佐々木三郎兵衛盛綱が、弟の高綱の城門を訪れる場面です。テキストを読むと、盛綱と高綱兄弟は13年間も不通であったこと、お互いの一子である小三郎と小四郎は同年齢の13歳であることが分かります。そして、明日が彼らの初陣になっているのです。当時は13でも元服年齢ですから、中学生が戦場で戦っていたわけですか・・・




盛綱が高綱の城を訪ねたのは、兄弟、従兄弟同士が戦うのに心痛める母微妙を思ってのことです。まずは盛綱が「降参に参った」と切り出しますが、高綱は


兄とは推参慮外千万、凡そ弓取の操はな、善にもせよ悪にもせよ一度頼まれたる詞を変ぜず、危きを見て命を捨て二君に仕へぬを道とする事犬打つ童まで知る所、一旦鎌倉に味方しながら今さら旗色の悪しきを感じて生面下げて降参とは、腰抜けの犬侍、兄弟の縁切った


と烈火の如く怒ります。実は盛綱の降参も本来ならば鎌倉陣営に取り込みたいとする北条時政の計略があってのこと。高綱の主君に仕える「義心が鉄石」であることを確認したため、戦さけられずとなったわけです。


盛綱陣屋でも盛綱は常に弟のことを思う良き兄として描かれています。歌舞伎では高綱は一切登場しないのですが、知将とされながらも、一本気なそして堅い意志に貫かれた武士であることが分かります。、そうでなければ、自分の子供の命を計略の要にはしませんよな。


この後は小四郎が母篝火が見守る中、初陣にのぞむ場となります。ここでの篝火の様子の描写は端的ながら、武士の子の母の気持ちのが短い文章にきりりとまとめられています。


櫓より母篝火、わが子の初陣勝負は如何と見れば、平場の戦ひに、斬立てられて軍兵ども立つ足もなく逃げ散れば、櫓より見る母親は嬉しさ足も千鳥泣き、

この後の従兄弟どうしの合戦の描写も見事。


左手の山の尾先より小三郎が父佐々木盛綱、忰が初陣勝負はいかにと見下ろす遠眼鏡、母は櫓に目も放さず胆を冷する子と子の勝負。「そこを付込め小三郎」と傍なる人にいふ如く父があせれば、篝火は「ソレ小四郎、打太刀が鈍って見える」「そこを/\」と力む父親、あせる母、互ひに勝負もつかざれば「寄れ組まん」「もっとも」と馬を乗寄せむずと組み「えいや/\」と揉み合ひしが、鐙蹴放し組みながら両馬が間にどうと落ち、上になり下になりころ/\転び打ったりしが、小三郎運や強かりけん、小四郎を取って引伏せ上帯解いて高手小手、折重なって大音声「佐々木の小四郎高重を初陣の手初め生捕ったり」と呼ばゝれば、寄せ手はどっと褒むる声、櫓の上に篝火が『わっ』と泣く声、勝鬨は谷に響きて


簡潔な文章の積み重ねながら、も緊張感溢れる描写に舌を巻きます。この段があって、次に和田兵衛が盛綱の陣屋を訪れ、生け捕った小四郎を返してくれと頼みに来るわけなのです。また、こういう母親像がを踏まえたうえで歌舞伎での篝火(福助)を思い出すと、楽しみも増してくるというものです。


って、今回は引用だけですな。