2005年4月15日金曜日

チリチリとした焦燥感

あまりにも自分の生活実感とかけ離れているので、フジ、ライブドアの問題について私が述べることも何もない。どちらも応援しないし、ことの成り行きには企業買収事件という以外余り興味も無い。ただ、ここまで一般の人たちに大きな感心を持たれたの理由のひとつには、堀江社長に対する根拠のない期待感というものがあったような気がする。期待の背景には、慢性的な疲労を起こしている日本の閉塞感や既存勢力の問題がある。


これは、考えてみれば今まさに郵政民営化でしゃがれ声になっている小泉首相が、数年前に登場した時の颯爽とした雰囲気とどこか類似したものを感じる。どちらもナカミの無さという点でも共通しているのは笑えないが。




両者とも既存勢力や抵抗勢力に対する挑戦であったり、既得権益の解体がテーマであったり、あるいは新しい業態に対する期待だったりするのだが、本当に日本人は現在の既得権益を解体する覚悟があるのかとは疑問に思っている。


フジ、ライブドア問題に絡めて、「資本主義の原点」だとか「会社は誰のものか」などという議論も俎上に上るようになってきたが、私はとてもではないが「会社は株主のもの」などと知ったような顔で応えることはできないし、そういうものも含めて、本当に解体したいのか、その覚悟があるのかと、そう嘯くひとには問いかけてみたい。


日本は、ヒーロー的なものにでも縋りたいほどの「閉塞感」に相変わらず支配されているのだろうか。同じ閉塞感とは言っても、数年前とは変わってきているような気もしている。デフレスパイラルの頃は、皆ながダメで何がダメなのか分らないという状況だったけれど、今は、いつの間にか一部の人だけが良くなっている状況だ。「負け組」の開き直りか、どちらの「組」に入るかの瀬戸際に居る焦燥感かもしれない。それでも多数は食べるに困るというほどではなく、貧困とは程遠い生活ではあるから、実感としては「ゆるやかな閉塞感」であったり「ぬるい焦燥感」だったりする。そういう状況の中、大企業は「欲望の拡大再生産と質的拡大」を日々行っており、消費意欲と期待と不満に油ぐことを怠らない。


チリチリとした焦燥感と、昨今の中国の日本パッシングが変な方向で反応すると、日本人の意識が偏狭なナショナリズムに更に傾くことはないかと、ちょっとだけ懸念している。実のところ中国のパッシングにしても、日本とは違った意味での不満の暴発に一因があろうから、歴史認識云々以上にタチが悪いと思ったりしている。