2005年4月20日水曜日

歌舞伎座:四月大歌舞伎 籠釣瓶花街酔醒

どうにも分からなく、そして、やりきれないのは籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)です。先月の鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)で、勘三郎と玉三郎が手に手をとって、ラブコメディを演じ襲名を祝ったその黄金コンビが、今回は「縁切り」と「殺し」となってしまうのですから。


男のプライドを傷付けられたとて女を殺傷に及ぶという点では、番町皿屋敷を思い出したりもしますが、あちらよりは「殺し」の理屈が理解できる。とは言っても、後味の悪さに変わりはありません。




この劇は三世河竹新七の手になる世話物で初演は明治21年、いわゆる新歌舞伎。享保年間の「吉原百人斬り」を題材としています。すなわち江戸吉原で野州佐野の百姓次郎左衛門が、兵庫屋の八ツ橋の不実を恨んで斬り殺し、さらに大勢を殺傷したという事件。


河竹新七の籠釣瓶は全八幕の狂言ですが、歌舞伎では五幕目の「吉原仲之町見染の場」から「立花屋二階 八ツ橋殺しの場」までが演ぜられます。籠釣瓶とは水もたまらぬという意味を持つ名刀のこと。


さて、何が分からないかというと、花魁の八ツ橋(玉三郎)の心の内です。彼女は本気で次郎左衛門(勘三郎)に身請けしてもらうつもりだったのでしょうか。あるいは、花魁得意の上得意先へのサービスの一つだったのでしょうか。八ツ橋には言わばジゴロともいうべき間夫の繁山栄之丞(仁左衛門)が居ます。栄之丞に着物を贈ったりと、相当につぎ込んでいるようですし、栄之丞ときたら昼間から遊べる身分で、起請までかわしています。そうでありながら、八ツ橋は次郎左衛門からの身請話を茶屋公然と進めているのです。「縁切り」は、釣鐘権八(芦燕)らにそそのかされたこともありますが、栄之丞へ実を見せるためにやったこと。観ようによっては、八ツ橋は痘痕顔の醜男である次郎左衛門のことなど、ただの上客としか思っていなかったともとれます。ここをどうとらえるかで「縁切り」の場面の演技が変わってくるように思えます。


で、玉三郎演ずる八ツ橋はどうだったか。渡辺保さんの評では、玉三郎の八ッ橋は初役以来の当り芸。しかしどういうわけか、今度は淡泊で生彩を欠く。ことに愛想づかしはほとんど次郎左衛門をなだめつすかしつしているように見える。とあります。いやいや、私は全然そういう風には見えなかった。玉三郎の縁切は、情が入っているようで、次郎左衛門に客以上の思いがあるような辛さが出ていたように思えます。確かに「なだめすかし」というのも当たっていますが、そうすると後の台詞の切なさ加減はどうでありましょう。


八橋 そう御得心なされたら、もう用のないこの座敷、これでわたしも晴々した、どれ、廻しへ行ってきましょうわいな。

九重 それではどうでも佐野さんを、今宵かぎりお断りかえ。

八橋 わたしゃつくづくいやになりんした。



もっとも八ツ橋が、花魁にありがちな面も持っていたことは認めるにしてもです。三枚起請という言葉だってあるくらいですから。


で、ここの縁切りの場面は、それはそれは見事なくらいに冷酷なんですね。それを演じきっているのが勘三郎の次郎左衛門です。彼は下野佐野の絹商人、ふと立ち寄った吉原の華やかさと八ツ橋に一目惚れして、三日とあけずに通いつめるほどの入れ込みよう。遊びぷりも茶屋から感心されるくらいに気持ちのいい遊び方、八ツ橋のみならず、他の花魁やら太鼓持ちやら、誰からも好かれる好人物。こういう人物像は勘三郎うまい。


最初は田舎のポッと出の純朴さが、次に吉原通いを始めるものの、どこか野暮ったさをひきずっている人のいい旦那。それでも自分が吉原一の花魁八ツ橋に惚れられていることを自慢したくて仕方がないお調子者。なぜなら、彼は先にも書いたように、顔中痘痕の醜男、本心ではコンプレックスがある。八ツ橋に縁切りされた後の場面、一緒に吉原に連れてきた仲間に


聞くと見るとは大きな違い、大方こんな事だろうと、思った壺に相違なく、身請けどころかこの様では、いつでも振られ通しと見える。

と莫迦にされているところから推し量ると、彼の仲間内でのあり様が思い浮かびます。それだけに、ここの縁切りは見ていてつらい。八ツ橋にはそこまで分からないし気付かない。有名な

花魁、そりゃアちっと袖なかろうぜ。夜毎に変わる枕の数、憂川竹の勤めの身では、きのうにまさる今日のはなと、心変わりしたかは知らぬが~

に続く台詞でも、まだ

江戸へ来る度吉原で、佐野の誰とか噂もされ、二階に来れば傍輩の、花魁達や禿にまで、呼ばれる程になってから、指をくわえて引っ込まれようか。ここの道理を考えて、察してくれたがよいではないか


と言っていて、信じられず諦めきれない様子。でも彼が変わるのは、八ツ橋に間夫が居たと分かったその瞬間なんですね。間夫の出現で彼のプライドはズタズタ、今まで築いてきた自分の所在もものの見事に吹き飛ばされた。八ツ橋さん、栄之丞に実を見せるためだけと言うには、ちと罪つくり過ぎたといったところ。


おそらく次郎左衛門の殺意は、この瞬間に芽生え、そして次第に妖刀籠釣瓶に引き寄せられていったのかも知れません。次郎左衛門が何故籠釣瓶を持っているのか、どうして痘痕面なのかは、一~四幕までに書かれているのだとか(読んだわけではない)。次郎左衛門の父親次郎兵衛が、かつて妻のお清が瘡毒を病んで女乞食となっているのを、戸田川で惨殺、その祟りで次郎左衛門は痘痕面になってしまいます。籠釣瓶は浪人の築地武助から譲られたもの。運命の歯車が劇の前にグルリと廻っていたわけです。


ですから、立花屋二階の殺しの場の凄みと怖さは、ちょっと言いようがない。前半の人のいい次郎左衛門を知るだけに尚更。実はこういう傍筋は劇を観た後に知ったのですが、それでも、次郎左衛門が八ツ橋と再開した後、八ツ橋を惨殺に至るまでの一連の台詞と動作には、まさに鬼気迫るものと、もはや止められない激情が込められており、思い出すだけで背筋が寒くなるほど。次郎左衛門が八ツ橋と二人きりになった後、階下の様子を伺い、靴下をさっと脱ぎ、そしてこの世の別れじゃ、呑んでくりゃれから八ツ橋を逃げる後ろから斬り倒しはて、籠釣瓶は、よく切れるなあまでは、とにかく凄い。明かりを持って上がってきた下女を、刀を振り上げるでもなく、触れるようにして斬捨ててしまうところも見物。彼が激情だけではなく、籠釣瓶に引きずられて殺しに入ったことが暗示されているようです。


歌舞伎は「よく切れるなあ」で終わりますが、底本の方はこの後「大門入口捕物の場」となり、殺人鬼となった次郎左衛門が、殺しを重ねながら最後捕らえれるまでを書いています。最後の台詞はこれにて思いおく事なし。御法は決して、そむきませぬです。八ツ橋に始まる殺しを重ねることで、彼の中の鬼も去ったということでしょうか。

そういう点からは、この籠釣瓶、歌舞伎の形をとりながら極めて現代にも通じる人間像を演じきっているように思え、それ故に歌舞伎を超えて生々しく感じるのでした。蛇足ですが「吉原見染め」も素晴らしかったし(幕見席でほとんど見えんけど)、八ツ橋の斬られた死に様も、こんなに美しい死に様があったものかと、嘆息しましたが、それはあちらこちらで皆さん書いていおられる通りです。ああ、もう一度見てみたい。