2005年4月9日土曜日

残すべき風景とは

大学通りの桜から景観論争について思い出し、自分の3年前のエントリ(東京・国立マンション紛争から景観論を考える2002.05.01)を読み返しハッとした。





一方で、地域の連続性などは不要であると考える方もいるだろう。過去の狭く貧しい環境など忘れて、清潔で綺麗で便利な環境を創造すべきだ、まだまだ日本は西欧に比べたら都市化が遅れているではないか。過去の街並みがいとおしいなどとは懐古主義でしかない、というものだ。これはこれで一理あるわけである。ボロボロの木造住宅の横にドブと傾いた電信柱が続くような環境を積極的に残したいと考える人はむしろ少ないだろう。

という部分だが、何にハッとしたかというと、何かの雑誌で「昭和30年代の街並みを丸ごと再現するテーマパーク構築」の記事を思い出したからだ。確かあれは、これから大量定年を迎える団塊の世代をターゲットとしたビジネスであったはずだ。何に書かれていたか思い出せないのでグーグルしてみたところ、下記がヒット。

1つの村まるごとテーマパーク “昭和30年代”の街並み再現 【伊豆で計画】団塊世代がターゲット 定住者2000人規模目指す

これをノスタルジーと取るか、癒しと取るか、悪乗りととるか。記事によると、


「団塊世代以上の人たちが実際に生きてきた時代。現代とは違った“温かい風景”がそこにはあったことを実体験で知っている」(川又社長)。往時を懐かしむ人々が集い合う場の提供。更に介護施設も建設することで、高齢者の同様のニーズにも応えていく。中長期のリハビリ施設も設ける予定だ。

「昭和の村」は、参加型のテーマパークを目指して定住も考慮に入れるのだそうだ。現代という時間のスピードと物質的なものに、どこか疎外感を持っている高年者達が過去の懐かしさの中に引きこもろうとすることを否定することはできない。先のエントリで書いた「木造住宅の横にドブと傾いた電信柱が続くような環境」も、写真風景としてはフォトジェニックであり、郷愁を誘うものであることは認める。それでも、大阪他各地で出来ている食い物屋のテーマパークが、戦後の昭和街並みの再現だったりすることには、納得と違和感が交錯する。(中部国際空港のように「宿場町」と「ヨーロッパの街並み」の再現というのも、アイデンティティの喪失と書く以外、何とも評せないが・・・)


我々が置き忘れたものと現代有しているものの落差、喪失感。そこで真に失われたものは何であるか・・・などという難しいことは、考えても仕方がない、世の中はフジとライブドアの虚構と、六本木ヒルズの巨構が幅を利かせる世界である。

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