2005年5月10日火曜日

テンシュテット/マーラー:交響曲 第7番 「夜の歌」


本日は四谷でポルトガル料理を食し非常に良い心持。GW明け早々から、滅多矢鱈と忙しいハメに陥ることもなく何よりと心をなでおろし、帰宅してからそういえばと以前に買っていたテンシュテットのマーラー 交響曲 第7番を聴く。






テンシュテット/マーラー:交響曲 第7番「夜の歌」


  1. 第1楽章 ゆるやかに~アレグロ・リゾルート・マ・ノン・トロッポ 24'07"
  2. 第2楽章 夜の歌Ⅰ(アレグロ・モデラート) 17'32"
  3. 第3楽章 スケルツォ(影のように) 11'10"
  4. 第4楽章 夜の歌Ⅱ(アンダンテ・アモローソ) 15'30"
  5. 第5楽章 ロンド=フィナーレ、アレグロ・オルディナリオ 19'53"


  • クラウス・テンシュテット指揮 ロンドンpo

  • 1993年5月 Live ロイヤル・フェスティバル・ホール
  • EMI決定1300 TOCE13563.64


 





私のマーラー遍歴など、とても人に言えるほどのものではなく、未だにマーラーの全交響曲を空でイメージできる境地には程遠い。であるからしてマーラーの7番も、以前に聴いたのは一体いつのことであったか、そもそも、どういう曲だったかほとんど思い出すことができない。曲の難解なイメージと「夜の歌」という標題に惑わされ、霧の彼方にぼんやりと浮かぶ音楽というのがこの曲の印象だった。


そういえば、かなり以前に札幌のPMFの屋外コンサートでの演目で「夜の歌」が演じられたことがあった。妻と当時小学低学年の息子を連れて行った件のコンサートは、その実死ぬほど退屈で心の底から来たのが失敗だと思った。演奏は全く覚えておらず、鳥のさえずりばかりが気になったことが唯一の印象であった。


そういうわけなので、テンシュテットの本盤が極めて名盤であることは知ってはいたものの、今ままで敬遠してしまっていた。たまたま気分の酔い今日に聴き始めたときも、再び退屈地獄に陥るかもしれないと懸念を抱いていたのだが・・・果たして結果はといえば・・・げに凄まじき演奏であり、またこの曲の持つ魅力の一旦が垣間見えた気になった。


徹底的な「明」の世界を提示している第5楽章など続けて数度も聴いてしまったほどだ。この単純なほどの明るさと分かりやすさは、マーラーの憧憬なのか捩れた諧謔なのか判然としないものの、ただひたすらに圧倒的されてしまうことは否定できない。楽章冒頭のティンパニの連打など笑ってしまうほどの決然とした響きで驚く。この音楽のありようは、マーラーのこれまでに歩んできた道程を考えると、少し楽天すぎぬのか?という疑問が沸くのだが、それを書けるほどにはまだ曲に馴染んでいない。


それにしてもテンシュテットの演奏である。打楽器のこれでもかという迫力、トロンボーンの音色、トランペットの勝利に似た響き、怒涛のがぶり寄りのような勢いは凄まじく、この楽章だけ取り出して聴いたときに感じる爽快感は罪作りであり、ラスト近くは随喜の涙をこらえることが困難でさえある。


いや考えてみると、どの楽章も、「それだけ取り出して聴いて完結」しているのではないだろうか、と思い始めた。第7番の曲の構造を解説するとき、ABCBAの対照的な楽章構成だとか、1楽章のテーマが終楽章の結尾で現れ全曲に統一感を与えているなどと説明されるが、演奏時間が1時間半にもなんなんとする曲のテーマを覚えていられるほどに果たして聴衆は耳が良いのか。むしろ楽章を独立して聴いた方が曲の持つ意味を理解できるのかもしれない。


「夜の歌」という標題に騙され、今まで暗い曲というイメージを抱いていたが、実際はそれほどに暗澹たる曲でもない。むしろ脈絡のない思いが入り乱れる夜の夢想のような趣だ。また第5楽章は確かに聴きやすいが、この曲の魅力を探るには、やはりそれ以前の楽章を丹念に聴く必要を感じる。

それに何と言ってもこの演奏はテンシュテット最後の演奏会のものである。その点からも、とても疎かには聴けないのだが、グダグダといい加減な感想など書かずに、syuzoさんのページでも熟読して再聴でもしてみることにしよう。ポルトガルワイン(ポートワインを含む)によるほろ酔い気分での雑エントリでありました。