2005年5月8日日曜日

NHK BS:醍醐寺薪歌舞伎 勧進帳

5月7日のNHK BSで、今年の4月27~29日に世界遺産に登録されている京都・醍醐寺の境内で行われた「醍醐寺薪歌舞伎」の上演が放映されました。途中から見ましたので新作舞踊「由縁の春醍醐桜」は見られませんでしたが、「にらみ」と「勧進帳」は非常に見ごたえがありましたので、簡単に感想などを記すこととします。

まず成田屋伝統の「にらみ」。團十郎の「にらみ」は襲名披露依頼20年ぶりとのことで、みなさんの邪気も、私の邪気も払いたいと言ってから、グっとにらみに入るところ、表情の変化などテレビ映像ならではの迫力でした。

さて「にらみ」といえば最近読んだ戸板康二の「続 わが歌舞伎」には以下のような記載があります。

��荒事の主人公が、思ふ存分を発揮する形を示すといふことには)、僕の考えでは、團十郎(と仮にしておく)が、観客を代表し、もしくは観客のために、春のはじめに、四方にむかつて、見得を切ることによつて、一種の厄払いをする心持があったのではあるまいかと思ふのである。

なるほど「にらみ」が邪気を払うということは、歌舞伎浸透の文化から考えても特別な意味を内包しているのかと得心。そういう深い意味も込めた團十郎の「にらみ」、更には大病を患った後の復帰という心持もあるのでしょうから、見ているだけで有難い気持ちになってきます。もっとも十二代目團十郎は、非常に上品な顔立ちをしておられますから、ギロリとしたより目の見得にしても、どことはなしにユーモラスな感じが漂うというのは、私の勝手な解釈でしょうか。

さて、続いては「歌舞伎十八番 勧進帳」、演ずるのは弁慶に團十郎、富樫に海老蔵、そして義経は時蔵です。親子で勧進帳を演ずるのは海老蔵の襲名披露以来のこと、しかし昨年は團十郎が大病のため途中降板という無念の涙を飲んだ舞台でした。ですから再びこうして勧進帳を演じられることの喜びは、ひとしおであるのだろうと思います。

ただ、この有名すぎる演目であっても歌舞伎初心者の私には、「勧進帳って義経と弁慶が出るんだよな~。富樫って誰だ?」くらいの予備知識しかなく全くの初見であり、それ故テレビへの集中だけでは台詞を聞き取りきれなかった部分も多く、まさに無念ともいえる鑑賞結果でありました(TV放映に予め気付いていたならば予習くらいしたものを)。しかし歌舞伎の持つ様式美やら團十郎や海老蔵の演技など、それなりに堪能することができましたし、さらに「薪歌舞伎」という引き幕のない特殊な舞台での演目という点でも興味深いものがありました。

実際の客席で観るのと映像を通して見るのでは、全く印象が異なるのだとは思いますが、4月の歌舞伎座での團十郎(毛抜)を思い出しながらテレビに接していますと、團十郎という役者は性格的な大らかさを感じる俳優であるのだなあと改めて思いました。團十郎が居ることによって独特の存在感と安定感が生じますし、声の調子に長調的な明るさと底力があり、それが張りとなって舞台の空気を引き締めます。(團十郎に否定的な意見も読んだことはありますが)私としては台詞回しを聴いていて非常に心地よい。

対する海老蔵は高調子な声音。歌舞伎座の幕見席では役者の顔など全く伺うことなどできないのですが、テレビでアップで見ますと、流石に人気の出るだけある美男子であることを再確認、身体から匂い立つような品格は彼独自のものなのでしょうか。「ご機嫌!歌舞伎ライフ」のyukikoさんは、勧進帳の前に行われた柴燈護摩での海老蔵を以下のような描写で的確に表現されています。

するとお堂の陰からふいに平安時代の公達が物思いに沈んだ様子で現れ、見ればそれは海老蔵。光源氏と見まごうばかりの美しいその姿はまるで王朝の世にタイムスリップしたかのようでした。

海老蔵演じる富樫は関所を守る役人ですから公達ではないのですが、勧進帳においても確かに高貴さが漂っていました。それが富樫役として適切なのかは私には判じかねますが、弁慶とは違った情と存在感を示していたとは思います。山伏問答では、弁慶の余裕の問答にあせりながら、だんだんと押され気味になってゆくところなど、なかなかに見せてくれましたし、富樫の一番の見せ所(以下)も立派ではありました。

弁慶 笈に目をかけ給うは、盗人ぞうな。
 ト 四天王立ちかかるを
   コレ。
 ト 金剛杖を突きこれを制し
 ♪方々は何ゆえに、かほど賤しき強力に、太刀かたなを抜き給うは、目垂れ顔の振舞、臆病の至りかと、皆山伏は打刀ぬきかけて、勇みかかれる有様は、いかなる天魔鬼神も、恐れつびょうぞ見えにける。
 ト このうち弁慶は金剛杖、皆々刀に手をかけ、双方詰め寄りとなり、キッと見得。
弁慶 まだこの上にも御疑いの候えば、この強力め、荷物の布施物もろともにお預け申す、いかようとも糾明あれ。但しこれにて、打ち殺し見せ申さんや。
富樫 コハ先達のあらけなし。
弁慶 しからば只今疑いありしは如何に。
富樫 士卒の者がわれへの訴え。
弁慶 御疑念晴らし、打ち殺し見せ申さん。
富樫 イヤ早まり給うな、番卒どもがよしなき僻目より、判官殿にもなき人を、疑えばこそ斯く折檻もしたもうなれ。いざな今は疑い晴れ候。とくとく誘い通られよ。

それにしても、勧進帳は本当に見所の多い歌舞伎です。「天地(人)の見得」「元禄見得」「石投げの見得」など要所要所で決まる見得の見事さと美しさ。勧進帳を読み上げた後の♪ 天も響けと読みあげたりで決める、その名も「不動の見得」も立派。後追いで調べているので、テレビを見ながらいちいち、これが「元禄見得」だ、などと得心していたわけではありませんが。

ちなみに不動見得とは市川家が信仰してゐた(成田屋という屋号もそれから来てゐる)不動尊のすがたをそのまま写した見得のこと(文、絵とも「続 わが歌舞伎」P.119より)。

最後は有名な「飛び六方」で締めくくられますが、これはまさに「勧進帳」を勧進帳ならしめる六方です。映像では、カメラを花道の突き当たりの揚幕のあたりに据え、六方を踏みながら突進してくる團十郎をとらえているのですが、あまりの迫力にかカメラの焦点が合いきらずボケ気味の画像であったのは少々残念ではありました。

普通はこの飛び六方、幕引き後の花道で演ぜられるものですが、今回は醍醐寺を借りて演じていますから幕がありません。静々と富樫が奥に引き込むのを見送った後に、渾身の六法となりました。義経演ずる時蔵に一言も言及できませんでしたが、まあご勘弁を。勧進帳ではやっぱり義経は脇役ですから・・・

尚、本文中の勧進帳テキストは、ウェブ上の以下を参考にさせてもらいました。

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