2006年1月11日水曜日

ゲルギエフ指揮:マリンスキー劇場管 ワーグナー「指環」演奏会形式


��日はゲルギエフ指揮マリンスキー劇場管によるワーグナー「指環」の演奏会形式版を所沢で聴いてきました。


    ワーグナー 舞台祭典劇「ニーベルングの指環」より

  1. ヴァルハラ城への神々の入場~「ラインの黄金」より
  2. ヴァルキューレの騎行~「ヴァルキューレ」より
  3. 魔の炎の音楽~「ヴァルキューレ」より
  4. 森のささやき~「ジークフリート」より
  5. 「ヴァルキューレ」第1幕,全曲(演奏会形式)


  • ジークムント:アレクセイ・ステブリアンコ(T)
  • ジークリンデ:ムラーダ・フドレイ(S)
  • フンディンク:ゲンナジー・ベズズベンコフ(Bs)

行く前は「演奏会形式」ですし随分迷ったのですが、当日券(1階18列20)を開演5分前に購入、結局聴いてしまいました。結果的には満足のゆく充実した演奏会であったと思います。




まず、演奏曲目が「指揮者の強い要望により」上記に変更されたとのアナウンス。知名度の点からは「ヴァルキューレの騎行」ははずせないのだろう、とは思いましたが、前半はちょっと雑駁な印象。


いきなり「ラインの黄金」の「ヴァルハラ城への神々の入場」から聴きはじめるのは、どうしたって違和感、無理がある。「ラインの黄金」を演奏するならば、「指環」全体を象徴するかのような前奏曲ははずして欲しくないなあ、などと勝手なことを考えながら聴いてしまいます。二曲目から「騎行」を聴かされるのもツライ、まだそんな気分ではない。


歌が入らない演奏なのも、主人の居ない(あるいは眠り薬で眠らせている)家にお邪魔しているような感じで、どうも居心地が悪い。それはヴァルキューレでも同じで、彼女たちの奇声が聴こえない騎行は興醒めでシンバルの連打も白々しい。しかも勇壮な金管の彷徨が耳に馴染まない、というか何か変。タンギングの付点リズムはそういう音符でしたっけ?と疑問に感じながら、煮え切らない気持ちで聴き続けます。「魔の炎の音楽」もしかり、アタマの中でヴォータンやらブリュンヒルデの歌声を補間して聴いてしまいます。


もっともこれは、勝手な私の感想であって、演奏自体は悪くない、というか音の厚さの点でさすがと思わせます。楽団員が舞台に上がってきた時の印象は「でかいな」というものでしたし、低弦や金管の音量も十分。ゲルギエフは指揮台を設置しない平場で、タクトを持って精力的に指揮していました。そういえば、演奏前のチューング音のバラバラさは、結構印象的でしたね。そこにこのオケの自由奔放さとイキの良さの片鱗を聴いたのですが、実際はどうなんでしょう。


休憩をはさんでの「ヴァルキューレ」第1幕は、予想外の大満足といったところ。前奏曲の嵐とそこを逃げるジークフリートを象徴するかのような音楽から、ズイズイと演奏に引き込まれます。


ジークムント役のステブリアンコは、どう見てもジークムントには無理のある体型ですが、(チクルスではジークムントは別の人)声の張りは若々しく素晴らしい。またジークリンデのムラーダ・フドレイ は美貌と美声を兼ね備えた歌手。歌声もホールの隅々まで通り申し分なし、声質も魅力的です。


この二人が自らを告白しあい、愛に目覚めてワーグナー的「ふたりだけ」の世界に没入してゆくさまは見事で、演奏会形式ではあったものの、十分に楽しめるものでした。オケと歌手の音量バランスもよく、音楽が高まっても歌声が聴こえなくなるということは全くなし。眩暈のしそうな音楽を作り上げています。一体この演奏にどういう演出をしているのか興味はつきませんが、演奏会形式ですと曲そのものを堪能することができます。


この段になると、ゲルギエフがどうとか、金管のあれがどう、とか言うのは野暮なことです。ラストに向けての迫力や盛り上がりは素晴らしく、どこまでも駆け上るめくるめく感興と圧倒的な迫力で幕となったときには、思わず「うむ!」と訳の分からないコトバを発してしまいました。


ただし、オペラの実演には接したことのない私ですから、この演奏が「オペラ演奏的」あるいは「ワーグナー演奏的」見地から評した場合どうか、ということについては、全く述べることができません。基本的には、あまりクセや官能に重きをおかない、といって機械的過ぎることもなく、適度に感覚を刺激しながらストレートにふけ上がる性能の良いエンジンという感じですかね(>かえって分からねーよ)。


第1幕だけで終わったのは、演奏が満足いくものでしたから、物足りなくもあり、フドレイが膝を突いて観客に挨拶する仕草を観ているだけで、「あ"~、オペラ観てー」という気は強くなったことだけは確かです。