2006年2月27日月曜日

夏目漱石:「こころ」


息子の冬休みの課題図書であった夏目漱石の「こころ」が居間のテーブルの上に載っていたので、懐かしさから何気に頁を捲っていたら止まらなくなってしまい、結局最後まで読み通してしまいました。


「こころ」は今更言うまでもなく夏目漱石の傑作とされる作品ですが、この本が名作足りえているのは、読む人によって色々な読み方、受け止め方ができるテーマの広さと、人間の本質にかかわる問題を有しているからでありましょう。エゴイズム、我執については現代に生きる若者にも容易に理解できる感情であると思います。


以前は先生の苦悩を前提に読んだ記憶がありますが、今回は、先生にしてもKにしても漱石の描く明治時代のインテリというものが、いかに自己の内面世界に滞まり自己耽溺の中で完結していたかということが気にかかりました。恋というにはあまりに観念的な恋しか演ずることが出来ぬまま、過去の罪の意識と自己否定、そして自己疎外の中で自らの命を断つ先生という存在。それって何なんだ、と。ここに漱石文学の閉塞性と限界が見えてきます。(鴎外ほどには「閉塞的」「限定的」ではありませんが)


一方で、明治のインテリが感じていた淋しさや孤独、あるいは自己否定については、現代に生きる私には理解しえない事柄ではあるものの、漱石が先生の死をもって物語を閉じた(閉じざるを得なかった)ことは、明治精神の終焉を意味していたという点において、改めて着目して良い事項であるのだなと。