2006年3月1日水曜日

八柏龍紀:「感動」禁止!―「涙」を消費する人びと

先日やっとトリノ・オリンピックも終わりました。今回はあまり観戦することができませんでしたが、荒川さんの演技は素直に素晴らしかったですね。


ところで、某所のロビーに設置された大型液晶画面に流れるフィギュアの録画中継を見ていたところ「アラカワは凄かったけど、アンドーはいらねーよな~」との話し声が聞こえてきました。安藤さんについては日本スケート連盟の思惑、本人の精神的弱さ、それに調整不足など指摘すべき点は多々あり、思うような成績は上げられなかったものの、何もしていない我々が彼女の結果だけを非難できる筋合いではなかろうにと、見知らぬ二人の会話を聞きながら思ってしまいました。



ところで、オリンピックやサッカーに限らず、スポーツを観戦して感動することは否定しませんが、最近のメディアの感動の押し売りや「感動をありがとう」というコトバには言いようのない気持ち悪さを感じています。一方でスポーツ選手の「私の笑顔を見てください」や「皆さんに楽しんでもらえたら」などの発言も、プロでもないのに何故観客をそこまで意識するのか、という違和感を感じずにはいられません。


あるいは「今年一番泣ける映画」というフレーズです。いかに泣いたかということを臆面もなく語る若者の姿をテレビの宣伝などで目にすることも多いでしょう。


しかし、ちょっと待てよと、泣くことを求める者たちは、もしかすると泣くことでカタルシスを得る以上に「泣ける自分」に酔っているのではないか。すなわち映画や小説という虚構の世界で泣ける自分の純粋性こそがいとおしいのではないかと思い至りました。


さらに敷衍すれば、自分のも含めてですが、ブログが隆盛なのは、手軽さ故ということもありましょうが、自分を顕示することで暗に自己愛を表現しているのではないかと感じています。皆んな「自分が一番」で「自分が大好き」なのではないかと。(>感情的なCDの感想をタレ流している私の言う台詞ではありませんが)


そういうモヤモヤとした疑問にひとつの回答を与えてくれるのが本書です。八柏氏は最近の日本のこうした傾向を「消費行動」という観点から幅広く考察し分析しています。語られている内容が余りにも広すぎ、テーマが逸散してしまいそうになっている点や強引な点散見されますが、ある種の総括を与えている本ではあります。


中でも同感できた点は、感動を消費する彼や彼女らが、きわめて無自覚であり、かつイノセントであるという点です。私事ですが、30代前半の同僚と、東京ディズニー・ランド(TDL)について話していたときの会話を思い出しました。


    同僚「TDLって、すっごくよく出来ていますよ。客を楽しませるにはどうしたらいいかってことが、考え抜かれている。一度、行ってみたらいいですよ。」

    「・・・そもそも、ミッキーとかドナルドとか全然好きでないし、ああいうところで楽しませてもらうのって、ノセられているようで恥ずかしいって言うか・・・(オリエンタル・ランドではなく)ウォルト・ディズニーのコンセプトの凄さは認めるけどね(能天気なアメリカは嫌いだし)・・・」

    同僚「私だってミッキーとか別に好きなわけぢゃないですよっ。でも、行きもしないで批判するのってオカシイですよっ! ゼッタイ、楽しめますよっ!」


ああ・・・このイノセントさに反論する術を私は知らない・・・いや、いいんですよ、楽しんでいるヒトは。ン十年前に二度ほど行ったことはありますし、私も。


って、これは本の感想なのか?