2006年5月2日火曜日

町田康:夫婦茶碗、人間の屑


本文庫には「夫婦茶碗」と「人間の屑」という2作品が納められています。町田氏の小説は徹底した自虐と下降志向、そして現状を何とかして変えたいと思う気力が空しく空転し、捩れに捩れてゆく不条理をいつも描いています。


自暴自棄とも取れる主人公の行動は、裏を返すと限りなく甘ったるい楽観と自己愛に支えられています。主人公の感性は、自己分析と自己反省を繰り返しながらも現実とは全く折り合わず、真意や善意は相手に伝わらず、ひとり挫折感を味わいます。主人公のベクトルはどこまで行っても常識的な感覚ではなく、従って最終的には破滅的ともいえる必然的狂気へと突き進みます。





それを自明のこととして、町田氏は最初から最後まで下降と狂気を描いています。淡々としたリズムとスピード、負の必然性、瑣末への拘泥、人間のダメさ加減、情けなさ。それらを、ドストエフスキーのように重く陰湿な人間劇としてではなく、徹底した喜劇として、しかもあっけらかんとした明るさとスパイラルするストーリーで町田氏は描いてみせます。


確信犯的に描かれ演ぜられた喜劇からは、人間の本性さえも暴き出されてしまうかのようです。気のせいか「カラマゾフの兄弟」のフョードルを思い出してしまいました。(>フランス文学かと思ったら、今度はロシア文学かよ)


文庫本解説を筒井康隆が書いていました。私の直感は当たっていたと言えましょうか。彼は筒井康隆に非常に良く似ているのです。高度に屈折し転回し続ける知性からは、思考実験というものが生まれると筒井氏は指摘しています。


そう・・・極めて高度に屈折しすぎています、町田氏の文学は。なんだかんだと書いても、読み物として面白いので一気に読めますが、読み進めるのが結構つらくもあります。「堕落の美学」とも評されています、確かに究極の美学でもあります。