2006年6月26日月曜日

パンドラの箱とフラット化


Syuzoさんのブログを読んでつらつら考えます。

私も仕事とは別に、この先どういう世の中になっていくのかの興味がつきません。「パンドラの箱」を考えるキーワードの一つは、私の場合は「フラット化」ということです。情報化やIT化が産業革命に次ぐ大きな変革であると説いたのはドラッカーだけではありません。

「フラット化」ということが気になっていたら、本屋でトーマス・フリードマンの「フラット化する世界~経済の大転換と人間の未来」という本がたまたま目に付き、読み始めています。フリードマン氏は自著の「レクサスとオリーブの木」を引き合いにしながら、グローバリゼーションが大きく三つの時代として存在していたと説明します。

ひとつは旧世界と新世界の間で貿易が始まった1492年から1800年頃まで(グローバリゼーション1.0)。次が多国籍企業による世界統一の時代で産業革命を含む1800年から2000年まで(グローバリゼーション2.0)。そして今はグローバリゼーション3.0に移行したのだと。個人や小集団が簡単にグローバル化することが可能になったということ。確かにこれは劇的な変化です。

私の常識は、私の子供にはもしかすると伝わらない。私たちの成功体験は、彼らの世代には無意味なものとなるかもしれない。私たちの時代の幸福感は彼らの不幸でしかないかもしれない。未来はどこに向かうのか。政治の力が復権することはありえるのか、経済や資本主義主導ではない社会は到来するのか。個人と組織の関係は変化するのか。哲学や文学は、あるいは音楽やアートは何を表現するのか。神は終に絶滅するのか、あるいは劇的復活を遂げるのか、Googleが神だなんて、あまりに莫迦げていませんか?