2006年8月28日月曜日

生んでから殺すか、生む前に殺すか(いや、生ませないか)


どうも気にかかる話題。ちょっと調べると、あちこちで随分話題となり、小池環境相までがコメントしているらしいです。内容は18日の日経新聞(夕刊)の今はタヒチに住む坂東眞砂子氏のコラム。


坂東氏は日本の土着的なホラーを書かせたらピカイチでしたし、「道祖土家の猿嫁」においては民衆レベルでの近代日本のチカラみたいなものを書ききった傑作であると思っています。「山妣」においても、人間の業深さや、強烈なエロティシズムを発散しており、彼女の作品群からは前近代的な死と隣り合わせの生の享受みたいなものを感じ取ったものです。(どちらもBook Offにこの間売ってしまったので、正確なことは覚えていない)


そんな彼女がタヒチに住むと決断したのも、現代の日本が彼女には住みにくく、彼女なりの生き方が反映された結果であると理解していました。


で、猫殺しの話題です。すなわち「避妊手術を施すよりも成猫には妊娠出産という生の本能的な喜びを享受させてやりたい。生まれてきた子猫は育てられないから殺す」ということ。


全くもって今の日本の常識においては異質な考え方であり、批判することは簡単す。当然、多くの人たちが糾弾しています。私もあんまりであるとは思う反面、あれほどの作品を書く人が、批判されることも、自己矛盾の論理と言われることも踏まえて、あえてコラムを書いたその真意がどこにあるのか、考えざるを得ません。


今の私には安易に批判の矛先を彼女の論理に向けることができません。何かとてつもなく大きなテーマを提示しているような気がしています。未熟なため、その実態と本質が私にはまだ掴めません。