2006年10月24日火曜日

桐野夏生:光源


不思議な小説です。少なくともミステリーではありません。こんな作品を書く桐野氏ですから、彼女の本質はミステリーにはないと私は考えています。ジャンルもわからないし、的確な帯のコピーさえも書けない変な小説(桐野氏のHP)というのは、彼女の作品にミステリーを求める読者に対してのコメントでしょうか。





そうであっても本作品は一級のエンタテイメントで、かつ深い人間洞察が含まれています。桐野氏の持ち味が充分に生かされた作品で充分に読み応えがあります。ストーリーの展開も良く、彼女の中では目立たない作品かも知れませんが極めて秀逸だと思います。


私は、どうもこういう我が儘な人たちが大好きらしいです(笑)。


と桐野氏は語ります。彼女の小説の主人公は皆、自分の欲望や利益を最大限に考える行動を取ります。そこから、彼女の作品のキーワードである「サバイバル」という言葉が炙り出されます。我を通しますから、他者へは「悪意」となって放出される場合もあります。ウジウジした優しさや思いやりは存在しません。厳しい環境や、自らを束縛するものからの解放を望みながら生き抜くこと。そこには他者への思いやりよりも、他者を利用して自分が生き残るための「戦略」が生じます。それが彼女の小説の真骨頂です。


この小説においても、女性プロデューサーの玉置、撮影監督の有村、若手監督の三蔵、元アイドルの井上、そして人気俳優の高見。それぞれが我をぶつけ合い、助け合いながらも利用しあい、そして自分のサバイバルに利用できなくなれば容赦なく切り捨てる。誰もが何かを背負い、何かから逃れるように生きています。逃れたいと思いながらも、実は逃れた先に存在する孤独と虚無。自分だけが拠り所であると信じているハズだったのに、本当は違うかも知れないという疑問。そして新たなる束縛。主人公はおそらくは玉置でしょうが、ここには勝者も敗者も居ません。


最後は「狂乱」というカタストロフに導かれますが、それは真の意味でのカタストロフではなく、次なるカタストロフへの前哨に過ぎません。玉置に「勉強していないのはあなただけ」と最後に冷たく言われた高見とて、人気俳優「高見」を演じることを放棄した先にある自由と束縛を考えると、私は複雑な思いで小説の頁を閉じました。


ということで桐野氏の作品にも、そろそろ飽きてきました。これでオシマイにしようと思います。もしかすると『玉欄』なら読むかもしれませんが・・・