2006年10月6日金曜日

やっぱり素晴らしすぎたファジル・サイのリサイタルin王子ホール

王子ホールのプログラムは多摩とかぶる曲もありますが、これはこれで十分に魅力的なプログラム。特にサイのバッハどうしても聴いてみたかった。チケットは当日の10時に王子ホールへ電話してゲットしました、何とかなるものですね。多摩のリサイタルを聴いていなかったら、逆に無理とハナから諦めていたかもしれません。

王子ホールは342席ではありますが、音響的に改善されてからは、ずいぶんと響きが良くなったようです。購入した席は当日放出なのにI列15番と、ほぼホールの中央に近い場所。最前列で聴くのとベスポジで聴くのでは音の響きが違うような気がします。それに「首が痛くなる」ということもありませんからね。以前に書いたようにピアノの音がモコモコ聴こえるなんて、とんだ錯覚です。クリアにして響き過ぎずに十分な音色がホールを満たします。

お客さんも多摩とは違ってクラシック・コンサート的なスノッブな雰囲気がそこはかとなく漂います。私もせっかくですので400円でスパークリングワイン(スペイン フレシネ社製カヴァ)を休憩時間に飲んだりします。昂ぶった気持ちを落ち着かせたいという理由にかこつけて「飲んで」いるだけですが。平日18時過ぎにホールに駆けつけることの出来る人は、やはり限られます、ああ、なんて贅沢。

それにしても、音楽というのは一瞬の、あるいは流れ去る芸術です。いくらその演奏が素晴らしくても手中におさめることは二度と出来ません。それ故に音楽を聴くことは、きわめて直感的で生理的(原始的)で、そして精神の深いところを揺さぶります。

サイの演奏姿やうなり声には賛否があると思います。ものすごいパッセージを弾きながら、半身は鍵盤と135度くらいに開いたりするのですから、とても良い子にはマネさせられません。鍵盤にないときの手は指揮をするようだったり、あるいは空間から音を掴み取ったり、あるいは軽く放り投げるかのような仕草をします。サイは見えないミューズと常に対話しているのだなと思いますね。ですから技巧もメカニカルには傾かず、音楽は恐ろしいほどの説得力と広がりを持つのかなと。

左はこんな音楽を紡ぎだす人の演奏終了後のサイン会での姿です。この格好でどこかの公園をうろついていても、世界的なピアニストとは気づかないことでしょう :-)

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