2006年11月15日水曜日

モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K.397/アファナシエフ





  1. 幻想曲 ニ短調 K.397
  2. 幻想曲 ニ短調 K.396
  3. ピアノ・ソナタ ハ短調 K.475
  4. アダージョ ロ短調 K.457

  • ヴァレリー・アファナシエフ(p)
  • COCQ84057

愛すべき幻想曲 ニ短調 K.397を見事にまで変形させてしまっているのがアファナシエフの演奏です。彼の演奏は、グールドのそれとは違って、異様なまでの遅さが作品の持つもうひとつの世界を炙り出してしまいます。

いったいに、モーツァルトはK.397に、アファナシエフが描いたような文学的にして深淵な内的世界を本当に期待していたのでしょうか。冒頭の分散和音の彼岸から奏でられるかのような重く荘厳にして美しい響きにまず打たれます。この静寂な響きを破るようにして打鍵される主題の虚無的なまでの凍りついた輝き。アファナシエフはあるいは孤独な宇宙旅行者が、大宇宙の寂寞たる広大さに直面する時に経験するかもしれない感情と書いています。

ここに聴こえるのは、もはや母親喪失と言う幼稚的哀しみではなく、存在の根源的な寂寥感。死にさえ通じる虚無と孤独、彷徨い放浪する魂。どこにも淵がなくグルグルと巡る運命のような嘆き。

ニ長調への転調の後も、徹底的な明るさは訪れないかのようです。ひょっとすると、もう一つの彼岸へと突き抜けただけ。すなわち光、輝き、失楽園を提示する。このように曲は、終わりから始まりへと、さかさまに作曲されているとアファナシエフは書きますが、生の世界の決して楽天的ならざる美しささに逆に私は慄然としてしまいます。


自問する、モーツァルトの幻想曲は、こんな曲であったのかと。もっと無邪気で無垢な小品ではなかったのかと。アファナシエフの盤については、もう少し聴きこんでからでなければ、何かが書ける気がせず、しばらくお預け。