2007年4月12日木曜日

ハイドン:ピアノ・ソナタ/ファジル・サイ


  1. ピアノ・ソナタ第37番ニ長調 Hob.XVI:37
  2. ピアノ・ソナタ第43番変イ長調 Hob.XVI:43
  3. ピアノ・ソナタ第35番ハ長調 Hob.XVI:35
  4. ピアノ・ソナタ第31番ホ長調 Hob.XVI:31
  5. ピアノ・ソナタ第6番ハ長調 Hob.XVI:10
  • ファジル・サイ(p)
  • naive V5070
ハイドンの鍵盤曲に私は全く馴染みがありません。従って、サイ*1)のピアノで初めての曲に、しかも愉悦の宝庫であるハイドンを聴いていいものか*2)、若干の迷いはありました。しかしモーツァルトの世界でも異色ではありながらも、実は極めて繊細で真っ当な音楽を聴かせてくれたサイでしたから、やはり聴かないわけにはいきません。 サイは本アルバムで、ハイドンの曲に対する愛情と敬意をライナーで示し、演奏においてハイドンの曲の魅力を余すところなく伝えてくれています。ハイドンの鍵盤曲は、おそらく(他の作曲家に比し)技術的にはそれ程難しくないのでしょうが、平易と思われる曲、あるいは聴きなれた曲から驚きと輝きを引き出すことにかけてサイは天才的です。 アルバムはHob.XL:31の軽快なallegroから始まります。最初から唸り声も聴こえ早くもファジル・サイ節が炸裂です。ハイドン的な明確な明るさを、サイが楽しげに軽やかに奏でます。バッハを思わせる深みをたたえた、サラバンドを模した荘厳なLargoの中間楽章を経た終楽章の対比は鮮やかで、この1曲だけでハイドンの鍵盤曲とサイの演奏にノックアウトです。 バッハを思わせるといえば、極めて完成度の高いHob.Xl:31も魅力的です。allegrettoは確かにバッハ的ですが、それをはさむ両端楽章の鍵盤の高度な技術はまさにハイドンの世界です。 ハイドンの持つ明確さ、明朗さ、至福感は、どの曲からも聴くことができます。例えばHob.Xl:35のallegro con brioときたら。これまた輝かんばかりの明るさ。あたかも子犬と戯れる少女の幸福。無数のシャボン玉が舞う緑と光あふれる公園。サイがどの曲のどの楽章をイメージしたかimpression of two little girls playing the gardenといった言葉そのままの世界。続く打って変わった雰囲気に驚かされるadagioの美しさ。疲れた子供が午睡する、それを眺めるゆったりとした時間の流れ。ああ、これ以上の至福がありましょうか、本当にここは涙が出るほどに美しくそして軽い。サイの絶妙のペダルワークによるソフティケーとされた弱音の美しさには溜息以外発することができません。もっとも、ハイドンの明と暗の対比、あるいは光と翳の対比は、モーツァルトのような深さとか、何か深淵を覗きこんでしまったかのようなところはありません。(というか、それがモーツァルトのモーツァルトたる所以なのですが・・・) ハイドンの真作かどうか疑われているHob.Xl:43にしても、ライナーにも書かれているように、それがこの曲を堪能することの支障になるものではありません。両端楽章における粒立ちの良い音の転がり、弱音部の羽毛を地肌に着るような肌触り、強打部の品の良いそれでいて決然とした表現。サイのピアニズムを充分に味わいつくせます。クレバーなハイドンの洒脱でそれでいて高度な遊戯。 ◇
  1. サイは私が注目している鍵盤奏者の一人。Clala-Flalaのエントリは音盤DBから。
  2. 2004年来日時にハイドンを演奏しており、評論家の宇野功芳氏はその演奏を絶賛している(→梶本音楽事務所)