2007年6月4日月曜日

目白でガッティを聴く


目白バ・ロック音楽祭の目玉のひとつ、立教大学第一食堂で開催された、エンリコ・ガッティのヴァイオリン・リサイタルを聴いてきました。


馴染みのない作曲家ばかりですから結構迷った演奏会でしたが、結果としてはこれ以上はない、という位の至福のひと時で、心底良かったと思える演奏会でした。


    エンリコ・ガッティ&懸田貴嗣&渡邊 孝

    17-18世紀イタリア・ヴァイオリンの芸術Ⅰ「ソナタ編」

  1. チーマ(c.1570- 1630):ヴァイオリンとヴィオローネのための二声のソナタ
  2. フォンターナ (? 1589- ? 1630):ソナタ第3番
  3. ウッチェリーニ (c. 1603- 1680):ソナタ第1番「ラ・ヴィットーリア・トリオンファンテ」
  4. ジョヴァンニ・デ・マックエ (ca. 1550- 1614):コンソナンツェ・ストラヴァガンティ、2つのガイヤルダ、
  5. ストラヴァガンツェ第2(チェンバロ独奏:渡邊孝)
  6. スビッサティ (1606-1677):ソナタ第9番 - 第12番
  7. パンドルフィ・メアッリ (fl. 1660- 69):ソナタ第2番「ラ・チェスタ」
  8. ボンポルティ (1672- 1749):インヴェンツィオーネ 作品10の4
  9. ジェミニアーニ (1687- 1762):ソナタ 作品4の5
  10. ジェミニアーニ:チェロ・ソナタ作品5の5(チェロ独奏:懸田貴嗣)
  11. ヴェラチーニ (1690- 1768):ソナタ・アッカデミカ 作品2の6




  • 2007年6月3日(日)15:00 開演(14:30 開場) 立教大学第一食堂
  • ヴァイオリン:エンリコ・ガッティ 
  • チェロ:懸田貴嗣 チェンバロ&オルガン:渡邊孝



ガッティは知る人ぞ知る、バロック・ヴァイオリン界の貴人とも称され、その優雅な演奏手法に惚れ込んでいるファンも少なくないようです。ガッティについては、古楽ブログとして有名なSEEDS ON WHITESNOWに詳細な記述がありますので、知らない方はこちらをご覧になると良いです。(→http://seeds.whitesnow.jp/blog/archives/2007/06/post_158.html)


それによりますと、ガッティの魅力を以下のように説明しています。


エンリコ・ガッティの音楽に感じる魅力は、もちろん、バロック・ヴァイオリンというには、あまりにも芳醇すぎる豊かな響きにあるわけですが、その背後には、彼の生まれたイタリアが持つ文化の蓄積を併せて感じます


聴きおえてみれば全く同感で、ガッティの「芳醇」を深く深く感じた2時間でした。


ガッティの演奏を聴いていると、イタリア・バロックは全てが歌なのではないか、とさえ思えてきます。AndanteであってもAllegroであっても、そこに漂うのは空気であり、谷を吹く風であり、渓流や泉の流れであり、太陽の輝きを感じます。そして、人の喜びや営みが、聴こえてきます。


演奏は気品と上品さが全く嫌味なしに表現され、卓越した技巧も単なるテクニックに陥らない。響きは極めて自然で刺激とはならず、従って、やたらと精神を興奮させもしない。自然に、すうっと体に流れ込んでくる素直さ。


演奏姿が、すでに呼吸と一体になっている。強く引き降ろすようなボウイングに見えても、奏でられる音は極めて繊細、フォルテにおいても決して荒らぶらない。体から音が出ている。だからといって弱々しく女性的というのでは全くない。音楽が示しているものは、あくまでも男性的な詩。色気、エロスも男性が醸し出す馥郁とした香り。バイオリンという楽器が放つアクの強さやどぎついフェロモンは全く感じない。それがバロック・バイオリンの特色なのか、ガッティの音楽なのか。


極端なアーティキュレーションやアゴーギクは、そのひと時は面白いかもしれないが、そのうち飽いてくることも否定できない。ガッティの音楽にコケ脅しは一切なく、それでいて汲めども尽きぬ泉のよう。こんこんと輝くばかりの音楽が至福の喜びとともにあふれ出し、聴き飽きるということが全くない。どれも、これも、初めて聴く曲ばかりだというのに、この面白さよ。何度も鳥肌が立つ。


音の響きは、それが奏でられる空間や雰囲気に左右されるとしたならば、今日の立教大学の食堂で行われた演奏は、音楽をより一層引き立てることに奏効したと言えましょう。チュ-ダ様式の古風な空間と、開け放された入口から、まだ乾いた6月の空気が流れてくる。密閉されていないことによる適度の解放感、落ち着いた光、リラックスした休日の午後。


一体に、もしも西洋音楽というものがドイツではなく、イタリアを中心にその後発展していたとしたならば、音楽史や世界史は、もしかしたら変わっていたかもしれない、とさえ思える演奏会でありました。SEEDS ON WHITESNOWに書かれているように、まさに、イタリアの音楽が本来持っていた豊かさ、それがそのまま封じ込められているのではないか、という甘美な幻想を思う存分に堪能。感謝、ブラボー!!。(>って、こんなにベタに褒めていていいのか?)




上)開演まで暇だったんで、軽くスケッチ。下描きなし、かなりテキトー、植物ばっかなんでペン画では難しい・・・。しかし、何て素敵なキャンバスなんでしょう! 池袋の混沌を抜け出すと、すぐ近くにこんな空間が広がっているなんて!