2010年1月30日土曜日

松浦理英子:犬身

「犬身」=「献身」なのでしょうか。犬になりたい願望を持った女性が、メフィストフェレスのような悪魔と取引をして、自分(犬)を大事にしてくれる人の「犬」になるという話。

犬が好きな飼主に飼われる犬の気持ち、犬の心地よさ、犬の幸せ、犬の快楽が理解できなければ、この本には入り込めないだろう。私は犬を飼っているが、主人公の気持ちには全く共感を寄せることができない。そういう意味では、私は真に犬をかわいがってはいないということか。人間と犬にしか通じ合わない関係というものがあることを首肯したとしても、犬になって一生を終えること、犬の知性にまで(言葉は悪いが)堕ちてしまうことに、なぜ根源的な恐怖がないのか。人間としての実生活や人間関係を抹殺できるほどの絶望と諦念??

飼い主の家族の風景にも、嫌悪感しか覚えず。こんなグロで幼稚な精神しか持っていない家族を描き出して、どうしたいのですか。逃げ場のない不幸な者に、見返りを求めずによりそうこと、そこから得られる無償の幸福ですか?それは「犬」にならなくては実現できない「愛」ですか。だとしたら、かなり哀しい・・・。私は、人間のまま、人とつきあいたいです。(あ、それぢゃあ小説にならないか)