2001年4月22日日曜日

カラヤン指揮 ベルリン・フィルによる「春の祭典」

ストラヴィンスキー:「春の祭典」(1947年改定版)
ヘルベルト・フォン・カラヤン(cond) ベルリンpo.
録音:1963、1964 DG(LP国内版)

カラヤン・ベルリンの63年の演奏である。この組み合わせなのだから、立派な演奏にならないはずはなく、ここでも力強く構成美豊な音楽が展開されている。 音楽雑記帳でも書いたが、この盤を買ったのは高校1年生のときであったと思う。非常に衝撃を受けたと同時にクラシック音楽の奥深さを垣間見た思いがしたものである。

久しぶりに聴いてみたが、かつての記憶がよみがえるかのような名演であると思う。しかし、バーンスタイン、ブーレーズと聴いてきて、カラヤン盤の特徴や限界(?)も見えてきたような気もする。素人の戯言であるので、あくまでも印象と思っていただきたい。

この演奏だけ聴いている分には迫力も満点であり、豊なの色彩美を感じることもでき、非常に満足を受ける。他の盤になくてこの盤に聴こえるものとするならば、無数ともいえる細かな光と色彩の乱舞であるともいえるかもしれない。それは、冒頭の部分から明らかであり、聴き進むにつれて豊なる音の洪水となって押し寄せ、音楽に酔うことができる。そういう点から考えると、この演奏に難を付ける部分はどこにもないと思う。

しかしなのだ、音の迫力も音楽の推進力もあるにも関わらず、何か物足りなく感じるのである。それは何なのだろうか?よくは分からないのだが、カラヤンがこの曲に求めているもが、少なくともバーンスタインやブーレーズとは若干異なっているのではないかと感じるのである。具体的に指摘することは難しい。不正確な表現を承知で書くとすると、どうもカラヤンは、この20世紀の幕開けたるべき偉大なる前衛の音楽を、非常に真っ当に、前衛的にとか原始的なエネルギーを込めてというのではなく、19世紀までの音楽的手法の延長のようなアプローチで立派に演奏している、というように感じるのだ。

先にも書いたように、音楽的には申し分なく、明の部分から暗の部分への移行や対比も見事であるし、暗い戦慄の奥で鳴る複雑な音色も良く聴き取れる。どこを切っても、豊穣なる音の塊が聴こえるしそれで十分とも言えるし、この音楽の持つ複雑性を見事に表現しているとは思うのだが、何か肝心なものが嗅ぎ取れないのだ。それは、ギリギリの線からはみ出しているかのような、危うさやスリル、鋭さなどが欠如していると言ってもいいかもしれない。もっともこれは「好みの問題」だとは思う。

この盤に対する他者の評は読んだことがないし、聴いた盤もポンコツプレーヤーで昔のLPである。ノイズがカリカリ言うのを我慢しながら聴いているので、再びもっと良い音で聴けば、印象は変わるかもしれないが・・・