私的なLife Log、ネット上での備忘録、記憶と思考の断片をつなぐ作業として。自分を断捨離したときに最後に残るものは何か。|クラシック音楽|美術・アート|建築|登山|酒| 気になることをランダムに。
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2006年6月29日木曜日
直島めぐり【その3】ジェームズ・タレル
安藤氏とジェームズ・タレル氏によるコラボレーション作品は地中美術館と「民家プロジェクト」の南寺で接することができます。
タレル氏といえばアリゾナ州のローデン・クレーター・プロジェクト(未完成)が有名です。このアート作品はクレーターという自然のすり鉢の中から天空を眺めるというものです。あたかも宇宙空間を切り取ったフレームの中から見せるという壮大なるものです。以前TVか何かで放映され、いかにもアメリカ的なスケールのでかさに驚いたものです。
地中美術館にある「アフラム、ペール・ブルー」は、室内インスタレーション作品。光の中に脚を踏み入れるかのような不思議かつ非現実な体験が得られます。ただ危険防止のために柵とアラームが設置されているのは残念。これでは地下鉄ホームではないですかっ、タレル氏の非現実感を「この先危険」を知らせる無機質なアラーム音が、まったくただのジョークにしてしまっている罪は大きいと思います。
南寺で体験できるのは「バックサイド・オブ・ザ・ムーン」という作品。こちらは、そういう莫迦げた演出はありませんから、素直にタレル氏の作品世界に浸ることができます。
まず鑑賞者は全くの「暗室」に通され、ベンチに座ることを促されます。室内は目を開いているのか閉じているのかさえ判然とせず、目の前には網膜に明滅する模様しか見えません。ちょっとした根源的な、実存を脅かすかのような恐怖さえ感じます。
ふと長野善光寺の胎内巡りをふと思い出します・・・(空間の広がり感はまるで異なりますが)、あそこでは「鍵」に触れると極楽浄土が約束された筈。タレル氏の「鍵」は光。室内に入り5~10分すると暗闇に慣れてくることで、部屋の正面に薄ぼんやりとした映画のスクリーンのような弱い光が見えてくると説明されました。光が見えたらそこに向かって歩いて行ってよいと・・・。
本当に自分にも「光」が見えるのか、不安と期待に捉われながら、自分がどこに居るのかも分からない暗闇で待つこと数分。それは不思議な体験でした、徐々に目の前に何かが見えてきたときの覚醒の感覚と感動。
説明すると、ただそれだけの作品なのですが印象は強烈でした。何も見えなかったところから浮かんでくる光のスクリーン。一旦見えてしまうとそれを背景に明滅する先を歩く人の幻影さえ認識できます。全くの暗黒の中で自分や同行者を再び見出したときの不思議な驚き。あたかも3D画像が初めて「見えた」時の驚きや悦びに似ていましょうか。
この手の作品は、「時間がかかる」ため、日本やスウェーデン、ノルウェイなどでは受け入れられるものの、アメリカやドイツでは展示が難しいとタレル氏は言います。日本人であることを喜ぶべきでしょうか(笑)
タレル氏は「光や空間の芸術家」と紹介されます。アートや芸術が人に感動を与えたり、自己を再認識させたりするものであるのならば、タレル氏の作品は改めて一級の作品であると思うとともに、はじめてインスタレーション作品の持つ「力」を思い知った次第です。
●直島めぐり1 ベネッセハウス
●直島めぐり2 地中美術館
●直島めぐり3 ジェームズ・タレル