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2008年7月6日日曜日

バウハウス・デッサウ展

上野の東京藝術大学美術館で開催されている「バウハウス・デッサウ展」に行ってきました。大学時代に建築を学び、懐かしさもあってのことだったのですが、結果としては、今の自分の好みとは全く相通ずるところのない感性に「あてられて」いささか気分を悪くさえしてしまいました。

バウハウスという運動は、ひとつの時代の帰結としては避けて通れないものであったのだろうとは思いますが、ある時代の「実験的芸術」は今を生きる時代にあっては学究的価値はあっても一般的な鑑賞には耐えられない、貧相なものは貧相、神経を逆撫でされてしまいました。

バウハウスの授業での実習作品なども展示されており、デザインを勉強する若い人たちには興味深く写るのでしょう、しきりにメモを走らせている美学生が目に付きます。しかし私には、学生時代の経験とオーバーラップし、息苦しさと不器用さ以上ものを感じることができません。ましてバウハウス校舎などは「監獄」にしか見えません。グロピウスが設計した「デッサウ校舎の校長室」も、機能主義のシンプルさと表現はできますが、ちょっと好みではない。


とまあ、珍しく否定的です。しかし、美術館を後にして思ったのですが、私の感じた息苦しさは、もしかすると、ひとつの時代とか様式を打破して新たなものを打ちたてようとしていた、若い芸術家達の、すさまじいまでの探究心と熱意、内的な情動を表現するには自らの手の動き(ペン、模型、筆などのアナログな手段)しかないということに対する無意識の苛立ちのようなものを、展示作品から感じてしまったからかもしれません。彼らの手仕事から生み出される作品や工業製品は、彼らの時代の技術の先を確かに羨望しています。


現在は彼らが生きた時代とは比べ物にならないくらいに、表現技術は発達しました。しかし、そこからは、彼らが感じていたかもしれない、芸術と技術の限界を巡るような「苛立ち」は感じられません、技術の進歩のスピードが余りにも速いからでしょうか、あるいはあまりに豊かだからでしょうか。


開催は7月21日までです。

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