2012年1月31日火曜日

ブランディーヌ・ランヌーのラモー

 

2012年1月27日金曜日

2011年12月14日水曜日

さよなら九段下ビル アートイベント

解体される九段下ビル「さよなら九段下ビル」というアートイベントが開催されています(2011年12月13日から26日)。

最後の住民である画家 大西信之さんの呼びかけを受けて、ビルの一角で若手アーティストの作品を展示しているとのこと。建物内部を見るのも、これが最後の機会だそうです。

朝日新聞の12月13日に紹介記事が出ていましたので、ちょこっと見てきました。

現在は以下8人のアーティストのインスタレーションが展示されています。

勝亦かほり 加藤久美子 金田翔 桐生眞輔 久次米毅
田中一平 伯耆田卓助 増田悠紀子













作品はよく理解できませんでしたけれども、解体前の朽ち果てようとする建物に、若者のアートエネルギーが静かに灯っており、時間の流れと若干の鎮魂の歌を聴いた思いです。


解体前の九段下ビル

九段下ビルが解体になるとのことで、アートイベントが開催されていますので、仕事の合間にパパっと行ってきました。

このビルは1927年に竣工した耐火建築の店舗兼住宅で、南省吾による設計で、かつては今川小路共同建築と呼ばれていました。関東大震災の後の震災復興助成会社により建設され、震災後を代表する建築でした。

今年の東日本大震災により被災し、改修よりも解体が選択されたようです。


先ずはビル外観から。既に廃墟っぽいです。







中に入ってみます。

ゲゲ、これが都内のビル?と眼を疑います。




屋上に出てみます。

向こうに最近できた高層ビルが見えてます。




  あちこち凄まじいことになっています。

 


屋上には苔や雑草も密集していまして、とても傷んでいます。これでは雨漏りジャブジャブでしょう。





ここまで建物が傷んでいると、解体も止むなしでしょうか。ノスタルジーだけでは維持出来ません。






撮影はiPhone3GSです。




2011年9月29日木曜日

2011年9月25日日曜日

企画展「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展

2011/09/25 企画展「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展



  • 開催概要
展覧会ポスター
(写真上)「Poppy: Glowing Embers」、ニューヨーク、1968年
(下)「Flower Pleats (Issey Miyake Design)」、ニューヨーク、1990年
Photographs copyright by The Irving Penn Foundation


21_21 DESIGN SIGHTは9月16日より、企画展「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展を開催します。本展は二人の視覚的対話によって生み出された創造に焦点を当てるものです。

アーヴィング・ペン(1917年 - 2009年)はファッション、ポートレート、静物写真などを手がけた、20世紀後半を代表する伝説的な写真家です。ペンと三宅一生の最初の接点は、1983年の『ヴォーグ』誌編集ページで初めてペンがISSEY MIYAKEの服を撮影したことでした。「こんな見方ができるのか」と驚いた三宅は、その後パリコレクションで発表してきた服の撮影を依頼しました。87年春夏コレクションから99年の秋冬コレクションまで13年間にわたり年2回の撮影がニューヨークで行われ、この間三宅は一度も撮影に立ち会うことなく、ペンにすべてを任せ、それぞれのクリエーションを介した「Visual Dialogue(視覚的対話)」が交わされたのです。撮影された写真は250点を超え、その一部はポスター、写真集、展覧会と、さまざまなかたちで発表されました。

本展では、二人の創作活動のプロセスに一貫して関わった北村みどりのディレクションのもと、これらの表現を集大成し、二人の視覚的対話による創造の軌跡をたどることで、新たな表現を生み出す想像力と恊働のありかたについて考えます。
会場構成は世界的に活躍する建築家の坂 茂。超高精細プロジェクターによる写真の大画面投影や、マイケル・クロフォードの原画とパスカル・ルランによるアニメーションの上映のほか、田中一光デザインのポスターが初めて一堂に会します。また、ペン自らの手による貴重なオリジナルプリントや撮影用スケッチも特別公開します。




展覧会名:
企画展「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展
会期:
2011年9月16日(金) - 2012年4月8日(日)
時間:
11:00 - 20:00(入場は19:30まで)
休館日:
火曜日(11月1日3月20日は開館)、12月27日- 1月3日
入場料:
一般¥1,000、大学生¥800、中高生¥500 小学生以下無料
(すべて税込、15名以上は各料金から200円割引)
会場:
21_21 DESIGN SIGHT(東京ミッドタウン・ガーデン内)
〒107-0052 東京都港区赤坂9-7-6
tel. 03-3475-2121
アクセス:
都営地下鉄大江戸線・東京メトロ日比谷線「六本木」駅、千代田線「乃木坂」駅より徒歩5分

主催:
21_21 DESIGN SIGHT、公益財団法人 三宅一生デザイン文化財団
特別協力:
アーヴィング・ペン財団
後援:
経済産業省、東京都、港区
助成:
駐日アメリカ合衆国大使館
特別協賛:
三井不動産株式会社
協賛:
セーレン株式会社、A-net Inc.、ISSEY MIYAKE INC.
協力:
キヤノン株式会社、キヤノンマーケティングジャパン株式会社、
アルテック、マックスレイ株式会社、株式会社 オプティカルソリューションズ
(順不同)

展覧会ディレクター:  北村みどり
ドローイング:  マイケル・クロフォード
アニメーション:  パスカル・ルラン
展示ポスターデザイン:  田中一光
会場構成:  坂 茂
グラフィックデザイン:  佐藤 卓
コーディネーション(U.S.):  金井 純

ツァッブ夫妻展

カリグラフィー
タイポグラフィー
フォント
Palatino
西麻生 ギャラリー ル・ベイン







2011年9月20日火曜日

クラシックジャーナル マーラーを究める

クラシックジャーナル マーラーを究める

久しぶりに買ったクラ本だが、瑣末な差異や話題をことさら大げさに論じたり、きわめて主観的にな感想を、あたかも作曲家の考えを代弁するかのような幻想を含め、究極のヲタ本である。

この内容についていけるか、拒絶をするか。

こういう話題を続けているから、クラシックはドン詰まりなのだと思わされる。

好きな人にはたまらないのではあろうけども、客観的に読んでどうかと考えると、とても価値に値しないのではないかと。

どこか、気持ちの悪さを感じるのは、思い入れが過剰に強すぎるせいか。

それでも久しぶりにマーラーやブルックナーの断章を聴かざるを得なかったのは、性(さが)というものでありましょうか。


2011年8月19日金曜日

空海と密教美術展

空海と密教美術展を観ての感想メモ。
  • 2004年の「空海と高野山」展を凌駕するものではなかった。
  • 展示内容も少々かぶるものがあり。
  • 空海=弘法が書の大家であったことを改めて認識。
  • 今回の目玉の最終展示を曼荼羅のように見せているというのが売り物ではあったが、肝心の大日如来とかの本尊=中心が来ていないことの欠如感は否めない
  • 前回は運慶、快慶の仏像の迫力に圧倒されたという感あり、物量も多かった。
  • 今回は、二度観してもそれほど、おなかいっぱい感はなし。

2011年8月7日日曜日

展覧会:磯江毅=グスタボ・イソエ 特別展 練馬区立美術館


西武新宿線 中村橋駅すぐ近くにある練馬区立美術館で開催中の、磯江毅 特別展を観てきました。スペインで写実絵画の技法を学んだ磯江氏の真髄を余すことなく伝える展覧会でした。

磯江氏の絵は、ホキ美術館で接した数点しか知らなかったのですが(今回の作品展を観て、ホキにあった数点が磯江氏の作品であったことに気付かされたということです)、今回は圧倒されどうしでした。写実の重みとでもいうのでしょうか、凄い絵画だなと。「写真のような」という言葉は、観ていてついぞ口をつくことはありません。写真では決して表現しえない、絵画というものが有する力に、ぐうの音も出ないほどに屈服させられたとでも言いましょうか。

2011年8月6日土曜日

諏訪敦絵画作品集「どうせなにもみえない」

諏訪さんの最初の作品集は発売数も少量だったらしく、どこも在庫切れ。ネット上では2万5千円程度で取引されているとの情報もあるため、今回の諏訪さんの作品集「どうせなにもみえない」も、手に入らなくなる前にと、発売日とほぼ同時にゲットしました。


2011年7月7日木曜日

2011年7月5日火曜日

諏訪敦 絵画作品展 「一蓮托生」 成山画廊に行ってきました

画家、諏訪敦氏に興味をもったので、九段にある成山画廊で開催中の作品展を観てきました。



作品は、「成山画廊」に関するもので、画廊主である成山明光氏と、彼が見出した美人女性画家 松井冬子氏のドローイングと肖像画などが数点。NHK日曜美術館でも最初に紹介された、松井冬子の二面性を表していると解説されたドローイングも展示されていました。

狭い空間に並べられた作品は、美術館などで接するのとは違ったおもむきです。

諏訪氏の作品は「写実画家」としての面目躍如といいますか、画面の精緻さは改めて記述するまでもなく。彼独特のテーマや世界観が作品に遺憾なく展開されており、それはそれで興味は尽きないものでした。

こういう絵が欲しい、お金を払って所有したい、いくつも集めたい、という欲求を持つファンは、少なくないだろうと予想します。でも、彼の絵は一般的で安心安全な癒しとはちょっと違う次元にありますから、私のような常識人からすると、何かどこかが毀れていないと、彼の作品と一緒に暮らすことはできないのではないかと思えてしまいます。(日曜美術館で紹介された絵こそ、諏訪氏の作品からすると、異色であったのかも、です。)

彼の冷たい質感をもった裸婦がリビングを飾っている風景というのは、シュールを通り越しています。むしろ北側の書斎のひと隅に、独占的な視線の中に飾られることこそふさわしいような。あるいは普段は、厚い布で覆われていて、これはというときに開陳される類の絵とか。

彼の絵を観て、ふと「標本」ということを思い浮かべました。「標本」のもつ魅惑と隠微さ。いやいや、妄想がすぎますか。

調べてみると、モデルとなっている松井冬子さんの作品は、諏訪さんよりもさらに強烈です。なかなか正視に堪えない作品が多いのですが、それでも観てしまう、観ることを抗うことができないというのは、どういうことなのだろうと、考えてしまいます。こういう肉体性を持った作品が現代的なのでしょうか。彼女は1974年生まれ、この世代は活躍していますね。

それにしても、この成山画廊という存在そのものが、謎というか、カウンターカルチャーというか。成山画廊のコレクションも、何か完全に一線を超越してます。人の陰部、隠しておきたい暗い欲望、自分の知らなかった一面、不健康な健全、崩れそうないびつなバランスの中での美意識・・・

いろいろ言葉にすると陳腐になってしまいます。百聞は一見にしかずです。美術というのも、付き合ってみると危険すぎます。