2013年10月28日月曜日

諏訪敦 「満ち欠けをかぞえる」成山画廊

タブロー1点とドローイング2点のささやかな展示、成山画廊にて。

とりあえず、この作品を見るために成山画廊まで行ってきました。
息の詰まりそうな画廊の中で、遠いところを見ているような女性の目力に、多少気圧される感覚でした。







2013年10月23日水曜日

この国はどこで間違えたのか 寺島 佐高

2013/10/23 この国はどこで間違えたのか 寺島 佐高

日本の歴史認識
独り立ちできない
成熟しなかった団塊の世代
世代として次の世代に何かを残す責任
冷戦後の日本の立ち位置
ドイツはアメリカとの関係を見直した
自由主義、市場経済の資本主義の限界
哲学の必要性
揺り戻し
アジアからの視点
幼稚な政治家しか生み出さなかった
個としての独立
アメリカの責任追及
原発のGEとか
対米追従という思考停止
表面的な右傾化、愛国心
歴史に学ぶこと
石橋湛山
魯迅
江藤淳


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2013年10月14日月曜日

WOOL読了

WOOL読了

ハリウッド的
エイリアン的ヒロイン
描写は少しくどい
空間認識が少し狂っている
ヒマ潰しにはいい

続編読むかは微妙

2013年10月5日土曜日

山種美術館 速水御舟



速水御舟については今更言及するのも憚られます。
山種美術館の展覧会にちなんだ、和菓子も素晴らしいものでした。
山種美術館は、落ち着いた雰囲気の空間で、その安定感から、行くたびに癒される思いです。




2013年9月28日土曜日

蟻鱒鳶ル 2013年

東京三田にある「蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)」です。



ときどき見に来ているのですけど、なかなか工事が進まないですね。



造る行為そのものに意味があるような建物ですから、造ることそのものが目的化、永遠に作り続けることが命題化されているのでしょうか。

 


2013年8月25日日曜日

ルーブル美術館展 東京都美術館

200点を超える作品、4000年を超える歴史。
もう、おなかいっぱいです。


2013年8月16日金曜日

高村薫:太陽を曳く馬を読了はしたものの

読了とはいうものの、内容のほとんどは意味不明、理解不能
ひたすらに問い続ける小説。高村氏自信が問い続けること、その答えを求めるためには膨大な言葉を連ねるしかないということ。

仏教もしかり、オウムもしかり。その中での仏教論、認識論などなど
現代でそのような形而上的な問題を問う意味があるのか、ということに真っ向から反抗し立ち向かう。


2013年8月3日土曜日

村上春樹 1Q84 読了

amazonの評価を読むと、賛否両論というか、否定的な意見が多い。
批判者はあまり、文学に親しんでおらず、たまたまベストセラーだから始めて読んだみたいな人も含まれているようである。

村上作品は、決してわかりやすくないし、面白くもない。
自分勝手で日現実的なキャラも共通。
意味深なような謎掛けはあるものの全くの解決はなく。
ノルウェーの森に見られた性描写はここでさらに枠を拡げる。
何を書きたいのか?と疑問をつける人も多かろうが、多義的な世界を書いていることは確か。
しかし、最初のクールな青豆のイメージがだんだん幼稚になっていった、という感想は一理あると思うとともに、女から母親になったことによる変化ととらえてもいいのかも。
あくまでも男性視点あることは否定しない。
20年前との幼なじみが再び出会うなんてロマンとも思えないような妄想を小説の一つのテーマと大団円に据えることそのものが、歪で現実感も生活感も伴わない設定に思える。
天呉のあくまでも社会性のない、ナルシスてィゥクな受け身なキャラ、そのままの印象。
読んでいて、村上小説の世界観やキャラ設定を理解できない人には、つまらない以上に、嫌悪さえ覚えると思う。

しかし、ここに描かれた、ある種の回復できない喪失感と再生への期待とか、より困難な世界に立ち向かうスタンスとかは、ひとつの村上的な理想を示しているかもだ。あくまでもロマンとして。
この程度のロマンも許さないのならば、世の小説のほとんどはゴミ箱行だ。
宗教に対する認識の薄さは、ちょっと目に余るのだけど、宗教を信じていない、あるいは批判精神もない人に、オウム的なもののありようとかを使ってはもらいたくなかったね。

読み切ってはいないが、高村薫の太陽が曵く馬の難解さと深さに比べると、恥ずかしくなるほど。

エンタメと考えれば楽しめないこともなかったよ。


2013年7月15日月曜日

村上春樹の1Q84を読んでのメモ

これで完結している
純愛
欠落
空白
喪失
欠落
そういうものを埋めるもの
月の多義性
表と裏
失われた分身
性の意味
孤独
人が生きるということ
何を求めているのか
心の問題
精神
宗教的なもの
それを必要とする人としない人

喪失と再生の物語
失うということ

リトルピープルとは?
良きもの?
啓示を与える
ただ犯す、壊す存在ではない
自分探しの旅
淡いロマン
あるいは幻想

アドベンチャー
小説としての面白さ
謎は謎のまま

説明しないとわからないものは説明してもわからない
最初から説明的なものを拒否

小説の入れ子構造。

2013年7月6日土曜日

大野和士指揮 新日本フィル ブルックナー7番

2013年7月5日(金)19時15分
すみだトリフォニーホール
指揮 大野和士
新日本フィルハーモニー交響楽団



シャリーノ/「夜の肖像」(1982年)
ツィンマーマン/「ユビュ王の晩餐のための音楽」(1966年)
ブルックナー/交響曲第7番 ホ長調(ノーヴァク版、1954年)


ワーグナー生誕200年を記念したプログラムなのだが、ワーグナーは一曲も演奏しない。大野氏がこだわりぬいたプログラムとはいえ、ひねり過ぎの感がなきにしもあらず。

シャリーノはバイオリンのフラジオレットの上に、静かな音か薄膜のようにかぶさる10分程度の曲。無調?という点ではワーグナーにつながるか。

ツィンマーマンもメジャーな曲ではない。バイオリン、チェロなどの弦が入らず、逆にオルガンやギター、ピアノ、ハープ、エレキギターなどの楽器が加わる。いろいろな曲からの引用が展開されるが、期待させたほどには乗り切れない。最後の乱痴気騒ぎのような場面(幻想の暖断頭台への行進とワルキューレが奏されるところ)も浮ついた印象だけを残す。

オモチャ箱をひっくり返したような感じ、という点では、むしろマーラーにテイストが近いように思える。

休憩をはさんでの今回のメインとなるブルックナー7番。大野氏の指揮は、過大な感情は移入せず、速めの軽快なテンポで曲を進める。盛り上がるところもしっかり音量はあり、目立った大きな破綻もない。少し雑と聴こえるところや、ブルックナー的な音の重奏感が不足しているように思え部分がなきにしもあらず、聴く場所が2階席であったせいだろうか。

しかしながら、どこか不完全燃焼の残るプログラムと演奏であったことも確か。私が聴いたのはワーグナーの息吹だったのか、正真のブルックナーだったのかと自問。


それでも、この手の音楽は生で聴くのに限ると思う。現代音楽は、聴き方や集中力が異なるから、組み合わせは別の曲が望ましいと思った次第。情よりも理が勝ったプログラムであったか。

2013年7月2日火曜日

東京ー元田久治 アートフロントギャラリー 代官山

見慣れた風景が、地震や洪水、あるいはその他の外的な要因で崩壊し、人間が不在となった世界を描く。

というと、暗くネガティブな印象を受けるが、実際に作品に接した時には、むしろ暴力的な印象よりも、静謐感や哀しみとともに沸き起こる懐かしさを感じる。

それは、リトグラフという技法のもつ肌合いや温かさ、そして昏さゆえなのだろうか。作品は大きく、図録や写真から受ける印象程に画面は細緻でない点も、実物を見て初めて確認できた。

見慣れた風景の中に生じる違和感とか、歪み。そして引き伸ばされた時間。画面の中では空間も時間も歪められている。破壊やカタストロフに主題があるのではなく、その後の置き忘れられた時間がつくる、廃墟のみが有する穏やかな荒廃というゆるやかな時間の歩み。

廃墟に植物をからめることで、さらに人間の時間軸から離れた永遠と新たな生命感、再生を感じる。

それが、いかなる再生なのかは示されていないけれども。


2013年7月1日月曜日

本日でGoogle Readerのサービス終了

7月1日をもってGoogle Readerがサービスを終了する。


IT Techなど幾つかの記事にもあるように、情報収集ツールとしてRSSが役割を終えたということだろうか。

ニュースフィードを集めるという役割、それらはTwitterやFacebookなどの、ストリーム情報にとってかわられたことになっている。知り合いやフォローする人がすすめる情報の方が、生な信頼できる情報であるということなのか。

分からないでもないが、そうであっても自分的にはネットから得られる情報源は相変わらずRSSが中心であり続けている。私はもう少々RSSに付き合わなくてはならない。

2013年6月22日土曜日

文化センター ヴェルディ生誕200周年記念 三ツ橋敬子+東京交響楽団 ヴェルディ「レクイエム」

指揮:三ツ橋敬子
独唱:藤田美奈子、中島郁子、村上敏明、須藤慎吾
管弦楽:東京交響楽団
合唱:新宿文化センター合唱団
合唱指導:山神健志




新宿文化センター合唱団は、この演奏会のために結成された合唱団。はじめて行くホールだが、地方の文化会館のような雰囲気。本格的なクラシックを聴くには音響的に少し厳しい、長時間聴いていて疲れる。それであってもベルディのレクイエムのような音楽は生演奏に限ると思った次第。「レクイエム」ではあるが、随所にベルディ節が感じられ、それはそれで満足。テノールの村上敏明さんは、ハリといい声のツヤといい素晴らしかったですね。


個人的には、久しぶりのオケを伴うコンサートであったし、東京交響楽団であったので、そこそこ満足していたが、一緒に行ったI氏の演奏後の感想は、ひとこと「ママさん合唱では、これが限界。合唱が薄い。」というもの。

今日も合唱が弱い
ママさん合唱の限界
ソプラノがお水系
オケが入らないところでズレまくって
カルテットが狂ったまま
そこにオケがかぶさるみたいな感じで
ホールも市民会館レベル
音が硬く疲れる、響く

みたいな感想。それでも東京交響楽団はブルックナーとかやっているからまだ鍛えられている。指揮者に対しては何もなし。

ちょっと厳しいか。


久しぶりにディープなクラシックファンとの演奏会であったので、多少複雑な思いで会場を後にした。






2013年6月9日日曜日

映画:プロメテウスをiTunesで

プロメテウスをiTunesで

リドリー・スコット監督、iTunesより500円レンタル

期待したが、ほとんど「エイリアン」
ストーリーも、突っ込みどころ満載で雑
深みもない
ただのエンタメ
女性の圧倒的な強さと生存能力の高さも「エイリアン」級

デヴィット・リンチとよく監督間違えるけど
スコットは単純なんだね、映画が。