日曜美術館 フランシス・ベーコンを観てのメモ。
いや、彼の絵は、極めて内面的なものであるから、彼のような痛みを共有している、彼のような諦念と孤独と疎外感を感じる人は、意外と多いのかもしれない。
大江健三郎氏とか浅田彰氏とかが解説している
大江氏が真面目な顔して、
「ぼくは、こういう絵は美しいと思う」
と解説する。
彼の画業が第二次世界大戦の頃に始まり、ナチスの爆撃を受けたロンドン市内で多くの瓦礫の中に埋まる遺体を見ていたという体験は初めて知る。
結局死ねばみなこうなる、みたいなニヒリズム、確かに浅田氏の言うように神無き後の宗教画という捉え方は、当たっているかもしれない。
それにしても、彼の絵は、怖いとかいうより、痛い。
それも、痛々しい。
こういう痛みを現代が共有していると大江氏は言うが、こういう痛みを知る世代、人間が、今の能天気な日本の世に多いとも思えない。
いや、彼の絵は、極めて内面的なものであるから、彼のような痛みを共有している、彼のような諦念と孤独と疎外感を感じる人は、意外と多いのかもしれない。
いや、多いのではなく、社会が内包しているということか。あるいは能天気な個人が。
彼のアトリエのの凄まじいまでの混沌にも目を見張る。あの空間から描かれたものが、きれいでちりもない美術館に飾られることの違和感。インテリやにわかベーコンファンが「きれい」とか「美しい」ということのズレ。
いやいや、時代がベーコンに追いついたのか、いや追いついてはいまい。
リドリー・スコットのベーコンの評価、人間は肉であるという認識とか。