2015年10月25日日曜日

ブランディーヌ・ランヌー

 

2015年10月23日金曜日

カルミニョーラ率いるヴェニス・バロック・オーケストラの演奏 トッパンホール

カルミニョーラ率いるヴェニス・バロック・オーケストラの演奏。

  • 2015年10月23日(金)19時開
  • トッパンホール 
  • ジュリアーノ・カルミニョーラ(vn) 
  • ヴェニス・バロック・オーケストラ 
  1. ジェミニアーニ作曲コレッリのヴァイオリン・ソナタ「ラ・フォリア」op5-12による合奏協奏曲ニ短調 
  2. ヴィヴァルディ作曲ヴァイオリン協奏曲ホ短調RV277「お気に入り」 
  3. バッハ作曲ヴァイオリン協奏曲ホ長調BWV1042 
  4. バッハ作曲ヴァイオリン協奏曲ト短調BWV1056(原曲:チェンバロ協奏曲ヘ短調/マルコ・セリーノ再構築) 
  5. バッハ作曲ヴァイオリン協奏曲イ短調BWV1041 
  6. ヴィヴァルディ作曲ヴァイオリン協奏曲ニ長調RV208「ムガール大帝」 

機会を得て聴かせて頂いたが、まさに至福と愉悦の時間であったと言っていい。カルミニョーラの明るさと軽妙さが如何なく発揮された演奏会だったと思う。

最初は、カルミニョーラ抜きでの≪ラ・フォリア≫。ここからしてノリのよい音楽が始まる。変奏が重なるにつれ音楽は深みを増していくが、フォリアの持つ本来の狂気やダークさには傾かない、軽快なジャブといったところ。

ヴィヴァルディから真打登場である。生カルミニョーラは初めてお目にかかるが、ガタイがでかい!ヴァイオリンの音色も格が違うと言うか、カラダが鳴ってる!フォルテなどののときに靴を踏み鳴らす音が最初は耳についたが、それさえもそのうち気にならなくなる、これもありかと。ヴィヴァルディの合奏曲を聴きながら、ヴィヴァルディの数々のオペラアリアの名曲を思い出す。まさにイタリア、演奏の全ての通底には歌があるのだなと思い知らされる。鳥のさえずりを模したようなフラジオレット、技巧云々ではない、音楽が凄い。

曲目の構成は、バッハのお馴染みのバイオリン協奏曲をヴィヴァルディで挟むという構成、バッハも普段知っているバッハの装いはしていない。どこか薄いヴェールをまとい軽やかなステップを踏むがごとく。短調の曲なのに、あれ、今日はすべて長調だったかとプログラムを確認したくらい。もっとも生粋のバッハ好きにどう感じられたかは分からない。

バッハも面白かったけれど、やはり圧巻はヴィヴァルディ。圧倒的な突き抜け感はラストの曲からアンコール4曲まで留まるところがない。フェラリーがエンジンを思いっきりふかしたかのような心地ちよさ。

イタリア人の音楽というのは、エンリコ・ガッティのバイオリンでもそうだけど、路地を歩いていてふと目に飛び込む青い海と突き抜けた空を感じる。オケのアインザッツの響き、あるいはソロの上げボウの一音目から、演奏会場の空気を手品師のように変え、眼前のカーテンをひいたかのように(あるいは歌舞伎風言えば浅黄幕が落とされたように)現出させてくれる。気づくと窓辺にはブーゲンビリアが咲き誇り、どこからともなくカンツオーネ、頬にはゆるい風さえ感じる。

演奏している彼らを見ていると、チェロの二人にしても、バイオリン奏者にしても、カルミニョーラを尊敬し、互いを意識して引き立てあい、音楽を心から表現している、演奏することが本当に楽しそう。彼らに沁みついて熟成された音楽が、カルミニョーラによってデキャンタージュされたかのような芳香。

始終後ろ姿のチェンバロの女史も、演奏に合わせての動きが何とも柔らかく自然で美しい。最長老と思われるリュートの叔父さんも、結構激しく爪弾いている。一緒に呑んだら楽しそう、ずっと歌って弾いているのではないだろうか。

音楽にも人生にも(苦しいからこそ)難しいことは要らず、生きている目的さえ違うと思い知らされた今日の演奏。イタリアの伊達男と仲間たちの演奏に思わずブラボーを高らかに叫ばずにはいられなかった。いま思い出しても≪ブラボ!≫である。

PS.ちなみに小生はイタリアに行ったことはない。あくまでも陳腐で類型的なイメージである。






2015年10月10日土曜日

山種美術館 琳派と秋の彩

16時くらいから駆け足で観てきた。
山種美術館は狭いので観るのにあまり時間がかからない。
土牛の絵が素朴に良い。




2015年10月9日金曜日

2015/10/09 日本人が知らない集団的自衛権 小川和久

2015/10/09 日本人が知らない集団的自衛権 小川和久
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2015年9月14日月曜日

2015/09/14 亡国の集団的自衛権 柳澤協二

2015/09/14 亡国の集団的自衛権 柳澤協二


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2015年8月16日日曜日

サルガド 地球へのラブレター

サルガド 地球へのラブレター @東急Bunkamura

ヴィム・ヴェンダース監督

社会派カメラマンだったサルガドがルワンダなので絶望しネイチャーカメラマンに転向する
周りは反対であったが、結局はそこでも圧倒的な作品を残す
ベースは人間
The solt of the Earth が現代であったか
限りない人間愛、地球愛に支えられた、ほとんど神の視点と言われるのもうなづける
サルガドをプロデュースしたのは妻
彼を効果的に売り出したようだ

ひとつの写真集を造るのに何年も現地に入り込む
プロジェクトと称していたが
サルガド一人のチームではなかったろうと想像するが、その点にはヴェンダースは触れていなかった
飢餓のエチオピアや難民キャンプに、まさか一人で数か月も入り込めないだろうと思う
唯一アラスカでの取材に息子を連れての撮影がドキュメントして映像になっていたのみ

圧倒的な体力、精神力
知らずには、移さずには、伝えずにはいられないという強い意志
そして切り取られた圧倒的かつ膨大な作品群

森の再生については奇跡としかいいようがない
230万本の植樹を10年とかいうのだから、これも何人もの手による再生活動なのだろうが
映画はそこも明確には映していない点が若干不満

2015年8月11日火曜日

日本のいちばん長い日 半藤一利

2015/08/11 日本のいちばん長い日 半藤一利

Kindleにて読了
ついでに1967年版の映画もiTunesレンタルにて

日本陸軍の暴走
「国体」という名目での戦争維持、絶対抗戦という主張は、もはやカルト
ポツダム宣言受諾の陰で、クーデーターまがいのことが生じていたことは初めて知る
終戦も時の運さえ味方して、多くの努力のもとに「勝ち取った」ものであったことが良く分かる
改めて戦争は二度と起こしてはいけないのだと、普通は心に刻むであろう

阿南陸相の自決に関しては、現代と考え方が全く違っていたということの象徴
どうしても相容れない違和感
まだ「武士」としての日本人が生きていたことの証
これを美化して考えるべきではない
死ななくては陸軍が納まらなかったと考える、その根本的な思想が、土台が間違っていたのだと思いたい
生きることの方が難しい、後は託したというのは、今の世では通じない
このような日本的精神が今でも残っているとしたら、そこの方が問題

翻って安倍政権の暴走をどう考えるか
後世は現代の転向をどうとらえるのか


2015年8月5日水曜日

世界史の極意 佐藤優

歴史をアナロジーでとらえるということ
過去の歴史から現代を考える

資本主義、帝国主義という文脈から現代を考えなくてはならない
彼の根本は
歴史から学んで二度と戦争を起こさないこと
この点は共感できるか


2015年7月10日金曜日

2015/07/10 トレヴァー・ピノックのJ.S.バッハ「ロ短調ミサ」紀尾井ホール

紀尾井シンフォニエッタ東京 紀尾井ホール 創立20周年記念 特別演奏会 

  • 紀尾井ホール 
  • トレヴァー・ピノック
  • J.S.バッハ ロ短調ミサ







  • 紀尾井ホール・紀尾井シンフォニエッタ東京
  • 創立20周年記念 特別演奏会
  • 2015年7月10日(金) 開演:19時
  • 主催:新日鉄住金文化財団
  • 助成:文化庁文化芸術振興費補助金(トップレベルの舞台芸術創造事業)

トレヴァー・ピノックの J. S. バッハ「ロ短調ミサ」

紀尾井ホールと紀尾井シンフォニエッタ東京創立20周年に当たって、バッハ演奏の大家、トレヴァー・ピノックを迎え、バッハの壮麗な「口短調ミサ」で喜びの時を分かち合います。
ピノックは、イングリッシュ・コンサートとともに数々の録音で名演を残していますが、「口短調ミサ」をはじめとするバッハの主要な声楽作品は、BBCプロムスで実演と放送では取り上げられたものの、録音では聴くことができません。今回はピノックの「口短調ミサ」を聴くことができる貴重な機会です。
声楽には、ソリスト・合唱ともに、若手でありながらバッハの宗教作品のスペシャリスト達を迎えます。

出演者

トレヴァー・ピノック(指揮), 紀尾井シンフォニエッタ東京(Orch), 澤江衣里(ソプラノ), 藤崎美苗(ソプラノ), 青木洋也(アルト/カウンターテノール), 中嶋克彦(テノール), 加耒 徹(バス), 紀尾井バッハコーア[バッハ演奏で活躍する若手声楽家による特別編成の合唱団]

曲目

- J.S.バッハ:ミサ曲 ロ短調 BWV232

- 【備考】表示のある曲は試聴できます。詳細はこちら。

チケット料金(税込)

S席 8,000円
A席 7,000円
B席 5,500円
学生優待A席 3,000円
学生優待B席 2,000円

出演者プロフィール

- トレヴァー・ピノック(指揮)
トレヴァー・ピノックは、チェンバロ奏者としての活動とともに、1972年に古楽オーケストラ「イングリッシュ・コンサート」を創設し30年聞率いてきた。現在は、その活動の幅を広げ、独奏、室内楽や数々の教育プロジェクトのほか指揮者として活躍、2014-15シーズンには首席客演指揮者を務めるモーツァルテウム管弦楽団、ドイツ・カンマーフィル、ロス・フィル、ゲヴァントハウス管ほかに出演を予定。紀尾井シンフォニエッタ東京への客演はオール・モーツァルト・プログラムでの2004年と2012年に続き3回目となる。
最近では、エマニュエル・パユの独奏でポツダム・カンマーフィルとともにC.P.E.バッハのフルート協奏曲を録音、また、王立音楽院のソリストたちとともにシェーンベルクの私的演奏会のために編曲された作品を録音し、そのドビュッシー、マーラー、ブルックナーの録音は高く評価されている。
1992年大英帝国勲章CBE、1998年フランス芸術文化勲章オフィシエ受章。
トレヴァー・ピノック(指揮)
©三好英輔

    - 澤江衣里
(ソプラノ)
島根県益田市出身。国立音楽大学声楽科首席卒業、武岡賞受賞。東京藝術大学大学院修士課程及び博士課程修了。英国人作曲家R・クイルターの歌曲を研究し、博士号(音楽)を取得。声楽を佐藤峰子、永井和子の両氏に師事。現在、東京芸術大学声楽科教育研究所助手。J・S・バッハ《マタイ受難曲》《ロ短調ミサ》やカンタータ、モーツァルト《レクイエム》《ハ短調ミサ》、ハイドン《天地創造》、メンデルスゾーン《讃歌》、サンサーンス《クリスマス・オラトリオ》、ブラームス《ドイツレクイエム》等のソロを務める他、バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)の声楽メンバーとして国内外の演奏会や録音に参加している。2012年、BCJ主催のメンデルスゾーン《パウルス》ではソプラノソロを務め、好評を博した。第79回日本音楽コンクール声楽部門第二位入賞。第11回東京音楽コンクール二位入賞(最高位)。
©篠原栄治

- 藤崎美苗
(ソプラノ)
岩手大学教育学部卒業、東京藝術大学声楽科卒業、同大学院独唱課程修了、同大学院古楽科にも在籍した。第10回友愛ドイツ歌曲コンクール第2位入賞。宗教曲や歌曲を中心に活躍している。2002年よりバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会及び録音に声楽メンバーとして参加しており、東京公演「マタイ受難曲」や、ドイツ公演「ミサ曲ロ短調」などでソリストを務めている。またジョシュア・リフキンと「結婚カンタータ」を共演している。
©篠原栄治

    - 青木洋也
(アルト)
東京生まれ。ヴァイオリンを学ぶ傍ら、ボーイ・ソプラノとして東京少年少女合唱隊時代より活躍。東京藝術大学大学院で古楽演奏、エリザベト音楽大学大学院で宗教音楽学を学び、在学中より定期的に渡欧して研鑽を積む。宗教音楽を専門とし、J. S. バッハの《マタイ》《ヨハネ》の両受難曲や、多数のカンタータ、そしてヘンデルの《メサイア》、《テオドーラ》など、オラトリオやカンタータの独唱をつとめる。2014年2月に発売したソロアルバム「イギリス・リュート歌曲」(Regulus)はレコード芸術誌において特選盤に選ばれる。
©篠原栄治

- 中嶋克彦
(テノール)
東京藝術大学大学院修士課程修了。同大学院博士課程修了、博士号取得。2012年より文化庁在外派遣研修員としてドイツに1年間留学、マインツ音楽大学のバロック声楽コースにて研鑽を積んだ。宗教曲やコンサートのソリストとして多数出演しているほか、バッハ・コレギウム・ジャパン、声楽アンサンブル「ラ・フォンテヴェルデ」のメンバーとして活動している。オペラでは、第50回東京藝術大学大学院オペラ定期公演モーツァルト『コシ・ファン・トゥッテ』のフェルランド役でオペラデビュー。その後、新国立劇場や東京室内歌劇場をはじめ様々な舞台に出演している。

    - 加耒 徹
(バス)
福岡県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。同大学院修士課程独唱科を首席で修了。大学院アカンサス賞受賞。二期会研修所マスタークラスを総代にて修了し川崎靜子賞を受ける。第20回友愛ドイツリートコンクール第2位。新しい声2013国際コンクール日本人男性初のセミファイナリスト。歌曲を中心に演奏するほか、オラトリオやオペラでも幅広いレパートリーに定評がある。バッハ・コレギウム・ジャパン声楽メンバー。フェリス女学院大学非常勤副手。桐朋学園大学嘱託演奏員。二期会会員。2014年シャネル・ピグマリオン・デイズアーティスト。
公式ブログ→ http://ameblo.jp/kakutoru/
©Kei Uesugi

公益財団法人 新日鉄住金文化財団
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2015年5月31日日曜日

2015/05/31 グエルチーノ展@国立西洋美術館



グエルチーノ、圧倒的な筆さばき、その絵のうまさ、鮮やかさ。
今まで、こんな素晴らしい画家を知らなかったとは、何たる無知。
日本の美術教育って偏っているのではないの、と思わせる展覧会。
それとも、知らなかったのは私だけ?


2015年5月17日日曜日

クライマーズ・ハイ 横山秀夫

これはいただけない
64ロクヨンの方が優れているな
主人公がダメ
勝手すぎる
あり得ないだろうみたいな
逃げてばかり
自己愛強すぎ
自己都合、相手のことを考えていない
だから批判多いんだよ、アマゾンで

2015年5月5日火曜日

2015/05/05 燕子花と紅白梅 尾形光琳

根津美術館にて

尾形光琳300年忌記念特別展

「光琳デザインの秘密」と題する企画展です。

 

2015年3月7日土曜日

高村薫 冷血(下)を読んで

時間をかけてやっと読了。
読みずらい作品ではなかったが、かと言って解決が得られたかと言えば否
作者か主人公の合田か、煩悶だけが残される形となった。
それでも、続編はないのだとすると、今の段階での一定の回答であろうか。

徹底的に言葉を信じ、言葉によって表現を試みてきた筆者が、曖昧で実態のない、犯罪の動機に踏み込んでみる。そこには闇なのかなんなのか、何も見当たらない荒野があるだけ
それでも執拗に言語化し、わからないものがどうであったのかを描こうとする。

まるで太陽を曳く馬に出てくる抽象画のような、白々とした風景が広がる。

実態のないわからない存在であった、犯人の井上が、かなり高度な手紙を書き始めるのには、若干の違和感を覚えなくもない。これではかなりの知性の持ち主ではないか。
何も考えないヤンキーのそれではない。

あるいは死刑囚となった者は、みながこのような、なんらかの形で考えさせられる
文章を認めることができるようになるということなのか。

まだ、色々考えなくてはならない。
現代を言葉に表しているということなのか。
この混沌と無関心と感情あるいは刺激だけが前面に出てきている幼稚化した日本というものを。
分裂症でも精神錯乱でもない、そういうところに落とし込まないで、わからない世界をどこまで理解できたか。

合田はもはや刑事の領域を超えており、どこに向かうか。

2015年2月28日土曜日

東京駅100年の記憶 東京ステーションギャラリー



東京駅開業百年記念としての展覧会。
東京駅のみならず、丸の内地区、ひいては東京そのものが大きく変わったことを実感出来る展覧会。







2015年2月22日日曜日

月の裏側 恩田陸

恩田陸が女性であることを読後のAmazonレビュウで初めて知る。女性であればこそ、主人公の多聞のような男性を描くことに若干の納得を覚える。
前作の短編の主人公でもあったが、受け身でどこにも男性から見ると魅力的ではないキャラクターに、村上春樹の無色なキャラとの共通点を感じた。それも女性が描くのであれば一種の理想像としての男性像なのだと理解する。
してみれば、ホラーという題材を用いてはいた、結局は藍子の二度目の失恋物語、すなわち『盗まれた』物語と言えないこともない。
ストーリー的にはアイデアは面白いものの細部の詰めは圧倒的に弱く、納得感を感じたい向きには不向きな作品か。
文体も平易で深みはないので若者受けする作品かではあろう。
暇つぶしには良い、もうリピートとはないな。