2004年8月22日日曜日

映画:華氏911

今日の東京は暑さもひと段落、昨日からマイケル・ムーアの話題作「華氏911」が公開されていますので、早速観てきました。下の画像はオフィシャルサイトからの無断引用です。公演が終わればサイトもなくなるので画像転載は多めに見てくださいな。

さて、観た感想といえば、前評判は知っておりましたが、なかなかに観ごたえのある、そして重いテーマを持った映画でありました。

「華氏911」が第57回カンヌ国際映画祭でドキュメント映画としてパムドール賞を受賞したこと、アメリカで配給禁止の目にあったことなど、日本でも放映前から話題も豊富でした。内容はといいますと、M・ムーアの主張である強烈なブッシュ批判に満ち満ちた、かなり主観的な映画に仕上がっているように思えました。もはやドキュメンタリーではないですね。

ドキュメンタリーとは何かなどと難しいことは分かりませんし、ドキュメンタリーと言えども作成者の主観は加わるものだという意見もあります。それは確かにそうですし、どんな映像であっても主観なしのフラットなものなどないかも知れません。しかし、ドキュメンタリーとは、そこで写された映像が全てで、それをどう解釈するかは見るものに委ねられるものであるべきです。

そういう観点からは「華氏911」は、恣意的な政治プロパガンダ映画であり、ブッシュと共和党批判の宣伝映画であると批判されるのも最もであると思われます。この映画を観て、ブッシュと共和党を好きになる人は、よほど米国政治について精通しているか、熱狂的な共和党支持者でなければ、ありえないと思えるほどです。

また、M・ムーアの出身地であるミシガン州フリントの貧しさを題材として、貧困者を対象とした軍のスカウトや就職斡旋の現状などに切り込む様も、軍隊への志願者は貧困者だけではないと批判する人もいるでしょう。あるいは、ブッシュとビン・ラディン家の関係、ブッシュとアラブとの繋がり、政府高官たちとカーライル社やハリバートン社など軍産複合体への批判もありますが、これも一面的かもしれません。アラブには言及してもイスラエルにつては一言もありませんし、ネオコンの存在についても言及がありませんから。

では、この映画は民主党プロパガンダの偏向した映画なのでしょうか、答えはNoです。M・ムーアの映画もある意味からは一面的ですが、彼の映画を批判する声も一面的に思えるのです。

ただ唯一、政治色がない声として言えることは、イラク戦争が一体何のための戦争であり、何のためにフリントの若者も、そうではない者たちも、そしてイラクでの民間人や子供も、手足を、普通の生活を、そして命を失わなくてはならないのかという素朴な疑問と憤りと怒りと悲しみです。
クリスマス・イブの夜、メリークリスマスの歌に乗って、アメリカ軍がイラク人嫌疑者の自宅を強制捜査するシーンは、グロテスク以外の何ものでもありませんでした。アメリカの若い兵士が、ヘルメットの中にヘッドフォンを仕込み、ハードロックの強烈なビートを聴きながらイラクとイラク人(敵)を攻撃していると語るシーンは、「地獄の黙示録」の何倍もリアリティがあります。

しかし、その彼や彼女らにしても、アメリカ本国には、おそらくは身の上を案じる家族が心配しながら帰還を待っているのです。そこには数字やデータではない、生身の一人一人の人生があることを改めて突きつけます。

ハードロックを聴きながらイラク人(なぜ敵なのでしょう)を殺す彼らを、不道徳と責めることができるでしょうか、殺人者として罰することができるでしょうか。そうして正常な精神を麻痺させなくては、自分の魂を殺さなくては相手を殺せないところまで、追い詰めてまで行う行為は、一体何のためなのでしょう。一瞬、昨日レビュを書いた「朗読者」を思い出しました。

アメリカ人は、他国のことにほとんど関心がないとよく言われます。今、日本で盛り上がっているオリンピックにしても、米国ではさっぱりだそうです。だからイラク戦争など、近親が戦地に赴くかしない限りは、火星での出来事よりも遠い事件なのかもしれません。そうであるならば、アメリカ人がこの映画を観たことは、大きな意味を持つと思います。

そして映画の底には、あまりにも歪んだ世界が、現出しています。ブッシュがどこかのパーティーで演説しているシーンがありました。「(会場の紳士淑女たちに向かい)持てるものと、さらに持てる皆さん方の(会場から笑い)支援を受けて・・・」みたいな演説です。ブッシュはバカですから、すぐに突付かれますが、彼あるいは彼女らは、決っして表に出てバカなことはしでかさないでしょう、ここにこそ、M・ムーアの突撃が本当は欲しかったと思うのでありました。

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