2003年6月8日日曜日

ソロ奏者の音量について

N響アワーで、ミッシャー・マイスキー氏のチェロでドヴォルザークのチェロ協奏曲が流れていた。何気に見ていたのだが、演奏を眺めながら昨日の東響とディンド氏のチェロを思い出していた。ディンド氏の音色は非常に多彩ではあったが、音量面から言うと少し小さいかなという印象を、協奏曲の時は感じていたのだ。それでも、音が大きければ良いというわけでもないし、オーケストラとのバランスを考えても悪くはなかったから、そんなことはすぐに気にならなくなったのだが。
ところが、プロコフィエフが終わった後にディンド氏がバッハの無伴奏を演奏したときは、これがホール中に響き渡るかのような音量として聴こえたのだ。この違いはいったい何なんだろうと不思議に感じたものだ。

協奏曲のソロ奏者の音が、音量面で不満が残るということは、チェロに限らず、ヴァイオリン、フルートなどにおいても常々感じていたことだ。アンコール演奏などでのソロ演奏の響きを思い出すに、もしかするとソロ奏者の微妙な音色は、協奏曲になることでかき消されてしまっているのではないかと思い至った。

昨日のショスタコーヴィチでも、フルートやオーボエなどの木管楽器の音色はオーケストラの中で良く通って聴こえていたが、それらはまわりがピアニッシモで演奏しているときで、ほとんどソロパートとして演奏しているからこそ良く聴こえるわけだ。

このようにソロ奏者の微妙なニュアンスが協奏曲において伝わりきらないとしたならば、これは少し不幸なことなのではなかろうかと思うのだが、いかがなものなのだろうか。