2002年10月17日木曜日

北朝鮮拉致被害者の帰国 2

拉致された方々について、次々に情報が流されている。一挙一動が全国民の目に晒されるような感さえある。マスコミは彼女あるいは彼らが何を食べ、何を話したか全て知りたがっている。

何かあれば家族会が記者会見にて話す。郷里に戻っても歓迎会と記者会見が用意されている。こういう状況は異常ではないのだろうか。

たとえば15日の帰国の日の各社のTVニュース。彼女あるいは彼らから得られる情報が微々たる物であったため、各局は再び今まで何度も何度も目にした、被害に遭ったときの場所や状況を、壊れたレコードのように繰り返し垂れ流した。ある番組は、彼女あるいは彼らの24年前と今の写真を拡大して並べ、番組の間中見せてくれるという親切さだ。24年間の時の重みを感じさせたいのだろうが、そんなことを、貴方ならして欲しいだろうか。貴方が今、幸福な状況にあるとしてもだ。帰国以前あるいは生死がわからない間は、24年前の写真は「記号」でしかなかった。しかし生身の人間が現在したその瞬間、それは「記号」なんかではなくなる。

こういう報道姿勢に違和感を感じないだだろうか。

ここで新潟の少女監禁事件(*)を思い出す。小学4年生だった少女を9年間に渡って監禁していたという異常な事件だ。あの事件では、被害者の人格と今後の社会復帰を考えて、報道は彼女に対してある程度の距離を置いた報道をしていたと思う。

その事件と、同じだとは言わない。でも、と感じるのは私だけだろうか?

結論から言うと、しばらくはそっとしておいてあげたいということだ。彼女あるいは彼らから、我々は感動をもらわなくても十分である。私たちは彼女や彼らに比べれば、はるかに安全で幸福な環境で、さまざまな刺激を受容しながら生きてきている。だから、彼女や彼らに悲劇の主人公のような役回りまで果させたくはないと思う。北朝鮮でも日本でも良い、彼女あるいは彼らが望む方法で、好きな場所で、普通に生活してくれればそれでいい、その結果を私は積極的に知りたいとは思わない。ましてや、日本と北朝鮮関係を変えて行くための役割を果すということは、本人の意志があれば別だが、酷すぎはしないだろうか。

ただ、北朝鮮問題、戦後の問題など、私には多くのことがわかってはいないのだが・・・

(*)2000年1月、9年前に失踪した当時小学校4年生の少女が9年2カ月ぶりに柏崎市で発見された。事件が起きた同県三条市から、わずか数十キロ離れたところである。少女は、誘拐したSex Offenderの男の家でずっと監禁生活を強いられていたのだった。男と少女は2階に住み、他人を一歩も入れず、階下には男の母親が召使同然の状態で住んでいた。少女は19歳になり、男は37歳になった。少女は直ちに親元に帰されたが、足掛け10年に及ぶ軟禁生活が彼女の今後の人生にどう影響していくのか。さらに、なぜこの男が警察の捜査網から漏れていたのか。野放しのSex Offenderの現状とともに、二重の意味で国民は大きな衝撃を受けた。


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