Flute Concertos
Danzi, Benda, Hoffmeister, Stamitz, Et Al CD Flute Concertos
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フルーティストはアンドラーシュ=アドリアンとペーター=ルーカス=グラー、そしてイングリッド=ディングフェルダーの3人。激安もここまでくると、CDの有り難味が薄れるが安くて悪いわけはない。廉価版にありがちで解説は薄い見開きのものが1枚のみだが、これは仕方がない。
マンハイム学派のフルート
マンハイム楽派とは18世紀のドイツのマンハイムにおいて、Karl Theodor(1724-99)の頃に花開いたもので、作曲家としてはJohann Stamitz(1717-1757)などが有名だろう。マンハイムの宮廷音楽のためにオーストリアやイタリアなどから作曲家や演奏家が集められ、高い芸術性を誇ったとされている。中でも、マンハイム楽派の功績としては、現代の交響曲や協奏曲の基礎を築いたこととされている。18世紀中盤といえば、バッハ、ハイドン、そしてモーツアルトなどが活躍した時代である。マンハイム楽派は、当事のヨーロッパから終結した優秀な才能が、バロック音楽とは袂を分けた音楽形式を確立させたといえよう。その詳細は音楽史の書籍に譲りたいが、特徴的な点を何点かあげるとするならば、クレッシェンドやディミヌエンド奏法、極端なフォルテやピアノ、そして交響曲における急-緩-急の三楽章からなる従来の形式から、四楽章形式の萌芽を見ることができるということになろうか。また、音楽を聴いた印象だが、従来のバロック音楽と比べても、より自由にして感情表現的な音楽になっていたのではないかと思う。そういう意味からはロマン派への橋渡しのような役割も果たしているのだろう。
残念ながらマンハイム楽派はKarl Theodorがミュヘンに都を移した1778年頃から勢いを落とすこととなるが、同時代や後世の作曲家(もちろんモーツアルトやハイドンにも)大きな影響を与えている。実際、モーツアルトは1777年から翌年にかけてマンハイムを訪問しており、当時ヨーロッパ一とうたわれたマンハイマー・ホーフカペレ( Mannheim Hofkapelle ; court orchestra )の大編成オーケストラと新しい音楽に大いに刺激をうけたとされている。
聴いてみたのは18世紀のヨーロッパのフルートコンチェルトを集めた5枚組のアルバムである。主な作曲家は、マンハイム楽派のCarl Stamitz(Johann Stamitzの息子)、プロシアのフリードリヒ大王の宮廷音楽家として活躍したC.P.E.Bach、フリードリヒ大王のフルートの師でもあったQuantz(「クヴァンツのフルート奏法試論~バロック音楽演奏の原理」でフルート関係者には有名)、バイオリン奏者のFranz Benda、そして当時ウィーンで活躍していたHoffmanなども含まれている。
マンハイムにはイタリアからも何人かの作曲家を招かれている。5枚目のCDにはBoccheriniをはじめとして4名のイタリアの作曲家の手になるフルートコンチェルトが納められており、18世紀ドイツのフルート音楽を知るには格好の資料となっている。
レーベルはBrilliant Classics(99745)、演奏はランパルの弟子でもある名手、Andras Adorjan、フルート関係者には教本でも有名な Peter-Lukas Graf、そして Ingrid Dingfelder 、上のジャケットの絵ははフランスロココ美術の代表作でフラゴナール(1732-1806)の手になる「恋人の戴冠」である。
FRANZD ANZI ( 1763-1826 )
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それ以外の3つのコンチェルトは当時の慣習に沿った形式ではあるが、バロック音楽とは異なった宮廷音楽の響きが聴こえている。音楽は煌びやかで劇的で、独特の明るさに満ちており、フルートの名人芸も充分に堪能できる曲である。
興味深い作品と聞かれたならば、No.2 (Op,31)を挙げるだろ。弦楽器による不安気なテーマに開始され、フルートの音色がオーケストラとの対話の中からたち現れてくる。曲調はどことなくモーツアルトのドン・ジョバンニを彷彿とさせる部分がなきにしもあらずである。三楽章はPolaccaでありフルートが自在に駆け回るその快感。
Adorjan のフルートは1点の曇りもなく磨き上げられた銀細工のような雰囲気、抑制の効いた芯のある音色はストレートにからだの隅々まで行き渡り、その一音目から天上の至福を与えてくれる。
(2002.10.05)
FRANZ(FRANTISEK)BENDA ( 1709-1786 )
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Bendaはチェコ(ボヘミア)からドイツに亡命してきた音楽一族である。彼自身作曲家であり、またバイオリン、ビオラ奏者でもあった。 プロシア皇太子(後のフリードリヒ大王)に認められ、宮廷楽団のコンサートマスター(Kapelmeister)として活躍したとある。フリードリヒ大王のもとには、C.P.E.バッハやクヴァンツ(Quantz)や、グラウン兄弟(Graun Brothers)なども働いていた。
上の絵はサンスーシ宮殿においてフリードリヒ大王がフルートの演奏を披露しているものだが、ハープシコードはC.P.E.バッハ、そしてバイオリンがFranz Bendaである。ここに納められている三つのフルート協奏曲も、こうした宮廷での演奏を前提としたものであろう。
曲はは三楽章形式で古典的な形式に沿っているが、弦楽器の伴奏にハープシコードの音色が加わり、フルート独奏を際立たせている。それぞれの楽章に挿入されたカデンツァではフルートの技巧がフルに発揮されているようで聴きごたえがある。
それにしても、Bendaの名前はこのCDで始めて知った。現在ではバイオリン協奏曲を含めてほとんど演奏の機会はないのではないだろうか。演奏会プログラムでもBendaの名前を目にしたことはない。当事の評判はかなりなものであったようだが、時代に埋もれてしまった作曲家ということなのだろうか。
Adorjan の演奏はここでも冴え渡っているのだが、Franz Danzi の演奏と若干音色に変化が認められるのは録音のせいだけだろうか。3年という間にそれほど大きな変化が(このような大演奏家において)生じるとは思いにくいのだが、こちらの演奏の方が、どことなくふくよかな広がりを感じさせるものとなっている。
これも蛇足だがジャケットの絵は、やはりフラゴナールの代表作「ぶらんこ」の一部である。
C.P.E.バッハは大バッハの次男であり、マンハイム楽派の音楽家たちとは離れ、フリードリヒ大王のもとに30年ほど仕え、その後、テレマンの後任としてハンブルグの5つの教会で音楽監督を務めている。当事はバッハといえばエマニュエルを指すほどであったという。
一方、ホフマイスターは作曲家や音楽家としてばかりではなく、出版者やモーツアルトの後援者のような立場にもあったらしい。彼のためにいくつかの作品も書いているとのこと。
どちらの音楽も、フルートの技巧と管弦楽の華やかにして自由で瑞々しい音楽を聴かせてくれている。ホフマイスターの音楽は、確かにモーツアルト的な響きに満ちているとも言えようか。ここでもフルート独奏によるカデンツァは聴き所で、まったくもって奏者の音楽性にはつくづくと感心してしまう。ただ、短調だろうと長調だろうと、深刻な感情表現をしているロマン派の音楽ではなく、やはり耳障りのよい宮廷音楽である、なんだか続けて聴いていると、どんなに名人芸であったとしても飽きてくることは否めない。(第一楽章でのフルートの登場の仕方、カデンツァの入り方・・・など、お決まりの安心感はあるが)
余談だが、当時は王や皇帝が作曲家であるということは珍しいことではなかった。フリードリヒ大王はフルート(トラベルソ)も吹き、作曲もしていた。彼のもとに優秀な音楽家が集まり、多くの名品を残しはしたが、音楽の隆盛と創造は長くは続かなかったようだ。音楽家達がマンネリに陥ったり、フリードリヒ大王がフルートに執心すぎたことにも原因があるのだろう。何とフルートの師であったクヴァンツは、王のために296ものフルート曲を作曲したというのだから!
この盤のフルート奏者はIngrid Dingfelder という方であるが、私はこの名前ははじめて聞く。音色は軽やかであるものの、Adorjanの芯のある音を聴いた後では、少し食い足りない印象を受けてしまう。まあ、録音のせいなのかもしれないかが・・・
ちなみにジャケットの絵は、これもフラゴナールの「めかくし」。当時目隠しは「恋は盲目」の意味であったとか・・・。
このCDにはクヴァンツとカール・シュターミッツのフルートコンチェルトが納められている。カール・シュターミッツはマンハイム生まれの作曲家で、バイオリン奏者でもありビオラ奏者でもあった。若い頃からヨーロッパ各地で演奏活動をし、1794年から死ぬまではイエナで首席バイオリン奏者として勤めた。
クヴァンツは以前も述べたようにフリードリヒ大王のもとで作曲およびフルート演奏、そして大王のフルートの師として活躍していた。フルートに取り組む以前はヴァイオリン、オーボエ、トランペット奏者としても傑出していたらしい。クヴァンツはフリードリヒ大王のもとで長年働らき大王のために多くのフルート曲を書きはしたが「最も従順なしもべ」では決してなかったと伝えられている。
また、クヴァンツが「フルート奏法試論」(1752年)を大王に捧げる形で書上げた1年後に、同じく大王のもとで働いていたC.P.E.バッハも「正しいクラヴィーア奏法試論」を出版している。その両者に共通する規則を比べてみると、まるで内容が異なっているらしい。私は音楽を専門としていないので、その違いに言及することはできないが興味深い話ではある。
さて、前置きが長くなったが音楽の方は非常に良い、曲も演奏も秀逸である。特にグラーフの笛は素晴らしい、低音から高音まで張りと力感に満ちており、フルートはかくあるべしという印象。音楽がかっちりとした骨格で浮き上がってくる。3つの曲の中ではクヴァンツも良いが、シュターミッツの曲が良いか。覚えやすい曲調は明るさと瑞々しさに満ちており、喜びに満ちた曲である。
ジャケットはイギリスロココを代表するゲーンズボロの「画家とその妻」である。収録曲とのつながりは全く見出せない。
最後のアルバムは同時代のイタリアの作曲家のフルートコンチェルトである。
PERGOLESIはオペラ(喜劇)や悲しみの聖母の歌で名前が知られている。ボーカルのみならず室内楽やオーケストラでも新しいスタイルの音楽を生み、現代のオーケストラのスタイルに影響を与えている。PICCINIはマンハイムから離れ、パリで長く活動していたが、グリュックのオペラ形式に対する敵対者として知られていたようだ。BOCCHERINIはDANZIと同様に最初はチェリストとして知られていた。彼はマンハイムでの滞在にて多くの影響を受け音楽的に飛躍した。後年はスペインのリズムにも影響されている。最後のMERCADANTEはロッシーニやヴェルディにつながる代表的な作曲家である。
さて、曲の方だがイタリア的というのがどういう音楽なのかは説明できないが、明るく耳障りの良い音楽が、グラーフの笛によって聴くものを浮き立たせ、魅了してくれる。ただ、このテの音楽を5枚も聴いてきたので、やっぱり飽きてしまうこと否めない(^^;; 音楽の専門の方なら、5枚のCDを通して音楽様式の違いなどを聴き取ることができるのだろうが、私にはさっぱり、そういうことも分かりませんでした。
さて、最後のジャケット絵もゲーンズボロの「アンドリュース夫妻」。なぜイタリアの作曲家にイギリスのロココを代表する作家のジャケなのかは理解に苦しむ。
◇
18世紀中期の作曲家のフルートコンチェルトを聴いてきたが、改めてこの時代には多くの作品が埋もれていることを認識させてくれた。コンサートプログラムや発売されるCDは、バッハ、モーツアルトなどの作品が多いが、ここに紹介された作曲家などはもっと取り上げられても良いのではないかと思うのだった。
「バッハやモーツアルトと比べると音楽の深さが違う」という評はよく耳にするのだが、あまり難しいことを考えなくてもよい場面もあるのではないかと思わないでもない。
それにしても、Bendaの名前はこのCDで始めて知った。現在ではバイオリン協奏曲を含めてほとんど演奏の機会はないのではないだろうか。演奏会プログラムでもBendaの名前を目にしたことはない。当事の評判はかなりなものであったようだが、時代に埋もれてしまった作曲家ということなのだろうか。
Adorjan の演奏はここでも冴え渡っているのだが、Franz Danzi の演奏と若干音色に変化が認められるのは録音のせいだけだろうか。3年という間にそれほど大きな変化が(このような大演奏家において)生じるとは思いにくいのだが、こちらの演奏の方が、どことなくふくよかな広がりを感じさせるものとなっている。
これも蛇足だがジャケットの絵は、やはりフラゴナールの代表作「ぶらんこ」の一部である。
(2002.10.06)
FRANZ HOFFMEISTER (1754-1812) CARL PHILIP EMMANUEL BACH (1714-1788)
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C.P.E.バッハは大バッハの次男であり、マンハイム楽派の音楽家たちとは離れ、フリードリヒ大王のもとに30年ほど仕え、その後、テレマンの後任としてハンブルグの5つの教会で音楽監督を務めている。当事はバッハといえばエマニュエルを指すほどであったという。
一方、ホフマイスターは作曲家や音楽家としてばかりではなく、出版者やモーツアルトの後援者のような立場にもあったらしい。彼のためにいくつかの作品も書いているとのこと。
どちらの音楽も、フルートの技巧と管弦楽の華やかにして自由で瑞々しい音楽を聴かせてくれている。ホフマイスターの音楽は、確かにモーツアルト的な響きに満ちているとも言えようか。ここでもフルート独奏によるカデンツァは聴き所で、まったくもって奏者の音楽性にはつくづくと感心してしまう。ただ、短調だろうと長調だろうと、深刻な感情表現をしているロマン派の音楽ではなく、やはり耳障りのよい宮廷音楽である、なんだか続けて聴いていると、どんなに名人芸であったとしても飽きてくることは否めない。(第一楽章でのフルートの登場の仕方、カデンツァの入り方・・・など、お決まりの安心感はあるが)
余談だが、当時は王や皇帝が作曲家であるということは珍しいことではなかった。フリードリヒ大王はフルート(トラベルソ)も吹き、作曲もしていた。彼のもとに優秀な音楽家が集まり、多くの名品を残しはしたが、音楽の隆盛と創造は長くは続かなかったようだ。音楽家達がマンネリに陥ったり、フリードリヒ大王がフルートに執心すぎたことにも原因があるのだろう。何とフルートの師であったクヴァンツは、王のために296ものフルート曲を作曲したというのだから!
この盤のフルート奏者はIngrid Dingfelder という方であるが、私はこの名前ははじめて聞く。音色は軽やかであるものの、Adorjanの芯のある音を聴いた後では、少し食い足りない印象を受けてしまう。まあ、録音のせいなのかもしれないかが・・・
ちなみにジャケットの絵は、これもフラゴナールの「めかくし」。当時目隠しは「恋は盲目」の意味であったとか・・・。
(2002.10.07)
JOHANN JOACHIM QUANTZ (1697-1773) CARL STAMITZ (1745-1801) JOSEPH STALDER (1725-1765)
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このCDにはクヴァンツとカール・シュターミッツのフルートコンチェルトが納められている。カール・シュターミッツはマンハイム生まれの作曲家で、バイオリン奏者でもありビオラ奏者でもあった。若い頃からヨーロッパ各地で演奏活動をし、1794年から死ぬまではイエナで首席バイオリン奏者として勤めた。
クヴァンツは以前も述べたようにフリードリヒ大王のもとで作曲およびフルート演奏、そして大王のフルートの師として活躍していた。フルートに取り組む以前はヴァイオリン、オーボエ、トランペット奏者としても傑出していたらしい。クヴァンツはフリードリヒ大王のもとで長年働らき大王のために多くのフルート曲を書きはしたが「最も従順なしもべ」では決してなかったと伝えられている。
また、クヴァンツが「フルート奏法試論」(1752年)を大王に捧げる形で書上げた1年後に、同じく大王のもとで働いていたC.P.E.バッハも「正しいクラヴィーア奏法試論」を出版している。その両者に共通する規則を比べてみると、まるで内容が異なっているらしい。私は音楽を専門としていないので、その違いに言及することはできないが興味深い話ではある。
さて、前置きが長くなったが音楽の方は非常に良い、曲も演奏も秀逸である。特にグラーフの笛は素晴らしい、低音から高音まで張りと力感に満ちており、フルートはかくあるべしという印象。音楽がかっちりとした骨格で浮き上がってくる。3つの曲の中ではクヴァンツも良いが、シュターミッツの曲が良いか。覚えやすい曲調は明るさと瑞々しさに満ちており、喜びに満ちた曲である。
ジャケットはイギリスロココを代表するゲーンズボロの「画家とその妻」である。収録曲とのつながりは全く見出せない。
(2002.10.11)
ITALIAN FLUTE CONCERTOS GIOVANNI BATTISTA PERGOLESI (1710-1736) NICCOLO PICCINNI (1728-1800) LUIGI BOCCHERINI (1743-1805) SAVERIO MERCADANTE (1795-1870)
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最後のアルバムは同時代のイタリアの作曲家のフルートコンチェルトである。
PERGOLESIはオペラ(喜劇)や悲しみの聖母の歌で名前が知られている。ボーカルのみならず室内楽やオーケストラでも新しいスタイルの音楽を生み、現代のオーケストラのスタイルに影響を与えている。PICCINIはマンハイムから離れ、パリで長く活動していたが、グリュックのオペラ形式に対する敵対者として知られていたようだ。BOCCHERINIはDANZIと同様に最初はチェリストとして知られていた。彼はマンハイムでの滞在にて多くの影響を受け音楽的に飛躍した。後年はスペインのリズムにも影響されている。最後のMERCADANTEはロッシーニやヴェルディにつながる代表的な作曲家である。
さて、曲の方だがイタリア的というのがどういう音楽なのかは説明できないが、明るく耳障りの良い音楽が、グラーフの笛によって聴くものを浮き立たせ、魅了してくれる。ただ、このテの音楽を5枚も聴いてきたので、やっぱり飽きてしまうこと否めない(^^;; 音楽の専門の方なら、5枚のCDを通して音楽様式の違いなどを聴き取ることができるのだろうが、私にはさっぱり、そういうことも分かりませんでした。
さて、最後のジャケット絵もゲーンズボロの「アンドリュース夫妻」。なぜイタリアの作曲家にイギリスのロココを代表する作家のジャケなのかは理解に苦しむ。
(2002.10.12)
◇
18世紀中期の作曲家のフルートコンチェルトを聴いてきたが、改めてこの時代には多くの作品が埋もれていることを認識させてくれた。コンサートプログラムや発売されるCDは、バッハ、モーツアルトなどの作品が多いが、ここに紹介された作曲家などはもっと取り上げられても良いのではないかと思うのだった。
「バッハやモーツアルトと比べると音楽の深さが違う」という評はよく耳にするのだが、あまり難しいことを考えなくてもよい場面もあるのではないかと思わないでもない。