東京国立博物館の「若冲と江戸絵画展」。確かに意欲的な企画であり、内容も充実しているのですが、ブログでネット上の感想をつらつらと読むにつけ、ちょっと普通の展覧会とは違った「熱気」に包まれているような気がしてなりません。昔から若冲を知っていて熱狂している人、今回始めて知って驚いている人。それぞれが、それぞれの観かたや楽しみ方をしていますが、語る言葉が途切れることがない、と言った感じのブログが多い。
これはいったい、どういうことなのか? と、少し考えてしまうのでした。
今まで異端とされていた伊藤若冲のような「エキセントリック」な画家が、日本にも存在したという新鮮な驚きと裏切り。精神性や哲学性、あるいは寓意や歴史性の薄さ、平明で分かりやすいテーマ。ヲタク的に語ることを尽きさせないテクニックとディテール。プライス氏の、自己の審美眼を信じた自己流のコレクションの確かさ。作品の展示方法への挑戦。数ヶ月も前から公式ブログを立ち上げる周到さ。などなど・・・。
すなわち、今までの権威的な芸術運動や教育に対する無意識のアンチテーゼ、自己の審美眼を信じたという「オレ流」への共感、そして、何よりも分かりやすさ。受ける準備は整ってたといったところでしょうか。
フェルメールや若冲の作品を観て来た後は
言葉が溢れんばかりに湧き出てきて整理がつかないほどです。
要は「簡単」なわけです。
弐代目・青い日記帳のTAKさんの指摘、さすがですね。
「簡単」なことが悪いわけではありません。くだらない考察でした。
伊藤若冲 《猛虎図》部分
簡単で形式ばっていないのが魅力ですよね。
返信削除若冲のこと、日本画のこと知らずに観に行っても
素直に「面白い」と思えるからすごいです。