ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 作品61
4つのピアノ小品 Op.119
ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)
サー・コリン・デイヴィス(指揮)
ロンドン交響楽団
Deutsche Grammophon
474 5042
しばらく多忙で、音楽を聴くどころかエントリーするのも面倒な状態が続いておりましたが、アクセス解析を見ると、更新しなくても訪問してくださる方もいらっしゃるようで、恐縮でございます。
さて、遅ればせながら、ヒラリー・ハーンの新譜であるエルガーのヴァイオリン協奏曲を聴きました。最初はパッとしなかったのですが、10回くらい聴いたら良さが分かってきました。曲に最初馴染めませんでしたので、ハーンへの言及は僅かです。
エルガーのヴァイオリン協奏曲を聴くのは本盤がはじめて。ヒラリー・ハーンの新譜ということで購入したのですが、一聴しただけでは長大なだけでとらえどころのない曲といった印象。
そもそもエルガーなんて「威風堂々」と「愛の挨拶」くらいしか知らない、「チェロ協奏曲」なども持っているハズだが、ドンナ曲だったかはさっぱり。
そういうわけですのでライナーなどを頼りに知識を仕入れると、ヴァオイリン協奏曲は彼の最愛の友人であるAlice Stuart-Wortley(妻の名前と同じであることから、エルガーはWindflowerと名付ける)に捧げられたものなのだとか。
表向きは、名ヴァイオリニストのクライスラーに捧げられていることになっていますが、楽譜には「ここに...の魂を封じ込める」とスペイン語で書かれているのだそうです。実際1912年にAlice Stuart-WortleyにI have written out my soul in the concerto,Sym.ll& the Ode & you know it. In these three works I have shewn myselfと書き送っているそうですから。
有名な「愛の挨拶」は、二人の婚約を記念した美しい曲ですし、愛妻家で知られたエルガーですのに、Windflowerをはじめとして、彼の周りには少なからぬ女性が登場しているようです。ただ、関係は非常にプラトニックなものであったそうですが。
さて、このようなエピソードが作品解釈上有効であるのかはさておき、改めて聴いてみるならば彼の情熱と憂鬱、老年にさしかかっての回顧や悔恨などがほろ苦く聴こえてくるようですから、先入観というのは恐ろしいものです。
重苦しいオーケストレーションに対してヴァイオリンに与えられた技巧的なフレーズは、抑えがたい感情の本流にも感じられます。そこかしこに聴こえるWindflowerのテーマは、聴いていて切なくなりますね。あんた、そこまで思っていたなら・・・などと考えてしまいます。
しかし、そこは愛妻家で鳴らしたエルガーですから、立ち込める霧のようにほの暗く曖昧とした中に、ふと立ち現れる感情なのでしょうか。控えめであるだけに、美しいのですね。
解説によると、第二楽章のヴィルトオージックなヴァオイリンのフレーズが"トリスタン・コード"で導かれていると書かれています。"トリスタン"はめくるめく破滅への愛の世界ですが、確かに私は第一楽章からトリスタン的な狂おしい雰囲気を感じはしました。ただし破滅には向かいませんがね。
エルガーが人生の終わりに近づいた頃、16歳のメニューインの録音を聴きながらThis is where two soul merge and melt into one anotherと語ったそうです・・・。(ああ、死ぬ前でよかったね)
この第二楽章のヴァイオリンのフレーズなど涙が出そうになるくらいに美しいです。それを支えるバックも見事。解説では伝記作者Michael Kennedyのno matter whoese soul[the concetro]enshrines, it enshrines the soul of the violinを引用していますが、まさに其の通り。エルガーのソウルがヴァイオリンの精へと昇華しているかのよう。
それで、ヒラリーのヴァイオリンなのですが、このような音楽を表現するのに、これ以上はないのではないだろうか、というくらいに美しく、繊細で、慎重で、しかし力強い音楽を奏でてくれています。音色は心が一本通っています。表現にクセはなく、相変わらずテクニックには一分の隙もなく、硬質ながらも仄かな気品さえ漂わせながら、この長大な愛の音楽に正面から挑んでいます。
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