- サイモン・ラトル(cond) 合唱指揮:サイモン・ハルゼイ ベルリンpo.
- ライプツィヒ中部ドイツ放送合唱団(合唱指揮:ホワード・アーマン)
- エルンスト・ゼンフ・ベルリン男性合唱団(合唱指揮:ジーグルド・ブラウンス)
- ベルリン放送合唱団(合唱指揮:ジーグルド・ブラウンス)
- カリタ・マッティラ(トーヴェ:S) アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(森鳩:Ms) トーマス・モーザ(ヴァルデマル王:T) フィリップ・ラングリッジ(道化のクラウス:T) トーマス・クヴァストホフ(農夫、語り手:Bs、Br)
- 2001年11月ライブ録音 EMI TOCE-55391-92
シェーンベルクというと無調の12音技法を駆使した難解な現代音楽というイメージがあが、「グレの歌」(1901年)は、彼が20代後半に作曲した作品で、ドイツ後期ロマン派の影響を強く受けた音楽である。実際彼の生まれたころは、ワーグナー、マーラー、ブルックナーの全盛期であったのだ。この作品にもワグネリズムの影響を聴く事ができるかもしれない。彼の「浄夜」(1899年)と同じような系列にあって「甘美で叙情的」な音楽といっていい。
しかし「浄夜」は弦楽合奏だが、「グレの歌」はマーラーの千人の交響曲を凌ぐ規模の大きさだ、肥大化したオケは極限とさえ言っても良い。五管編成以上に三つの合唱団、5人のソリストが加わり、演奏者は総勢400人にものぼる、数字を聴いただけでたまげてしまう。この編成から鳴らされる音響は驚異的であり、さらに陶酔的さえある。
さて、そういう音楽を話題のラトル&ベルリンの録音で聴いてみた。
2001年9月18日、20日、11月9日のデジタル録音、同年のベルリン芸術週間の目玉となった記念碑的公演をライヴ収録したもの。サイモンラトルがベルリン・フィル芸術監督就任後の初レコーディング盤である。この壮大なる音楽を、非常に緻密にそして美しく表現している。
日本盤の解説によると、ラトルは「グレの歌」を昔の恋人のようと称している、それこそ10歳か11歳のほんの子供だった当事、この総譜の虜になってしまったと言うのだ。それだけに、満を持してという感じなのだろうか。
冒頭の序章からして瑞々しく美しい、まるでラヴェルの「ダフニスとクロエ」のような優雅さが漂う。実際ラトルは"ダフニスとクロエ"のように演奏すれば良いとオーケストラに言っていたらしい。だとするとその試みは大成功しているといえる。フランス的な感性が、ドイツ的ロマンを身にまとい、ほんとうに見事な音楽を形作っている。
「グレの歌」のストーリーについては割愛するが、簡単に言ってしまえば悲恋と魂の救済のようなものだ。こういう音楽をラトルは、感情の奔流が溢れるというような情緒的な演奏ではなく、理知的にまとめているように感じる。メリハリがないとかいうのでは全くない。それはむしろ全く逆で、そこかしこに劇的なオーケストラの効果を聴き取ることができる。それでいて、音楽としての透明感とパースペクティブがきっちりした演奏というように感じるのだ。今の段階で他の演奏と比較しているわけではないので何とも言えないが・・・。
いずれにしても、壮大なるオーケストレーションによる音の洪水を体験することができる盤である。できうるなら、大音量で楽しみたいものである。
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