Mlada:Procession of the Nobles
Scheherazade, Op.35
London Symphony Orchestra
Alexander Scriabin
Le Poeme de l'extase, Op.54
USSR State Symphony Orchestra
Evgeny Svetlanov
Recording:
Royal Festival Hall,London, 21 February 1978
Royal Albert Hall,London, 22 August 1968
今年の夏は記録的な冷夏だとかで、夏休みも気温が上がらずに全く冴えなかった。北海道から来た身には涼しいに越したことはないのだが、都会のうだるような酷暑を心の底で期待していた私には、肩透かしな思いであったことも否定はできない。気温が上がって欲しいときに思ったような結果が得られないと、気分まで萎えてしまい、日の当たらないモヤシのような気分になっていた。
しかし、今週半ばから、思い出したかのように暑さがもどってきた。休日の今日などは軽く30度を越える暑さで息をするのも苦しいほどであった。こうなると気分は単純に盛りあがり、「ガーッ!!」とした音楽を能天気に聴いてみたくなるものである。
そういう訳で登場するのが、スヴェトラーノフの「シェヘラザード」と「法悦の詩」である。スヴェトラーノフの演奏であるから、ここは細かいことを考えないで音響の洪水に浸りたい。
「シェヘラザード」の爆演としてはゲルギエフ版が記憶に新しいが、こちらも負けずとエネルギー全開の演奏になっている。弦はうなる、シンバルははじける、打楽器は轟然とロールする、ハープは手から血が出るのではと思うような音を奏でる。それでいて音楽には破綻を来さない。もっとも少し力任せのように聴こえる部分もある。例えば、第三楽章の"The Young Prince and the Young Princess"でバイオリンが甘いメロディを奏でる部分などは、もう少し絡みつくような熱情やロマンが欲しいと感じる部分がなきにしもあらずではある。にしても演奏はLSOであり決して性能は悪くない。特に第四楽章のスネアドラムの硬質な刻みと弦の凄まじいばかりの強奏、麻薬でもやっているのではと思うようなクラリネットの節回し、血管がブチ切れそうなトランペットのタンギングなど軽い眩暈さえ覚える。クライマックスの大音量はもはや底を抜けている。冷静に聴けば結構粗いところも気付くのだろうが、全てはラストの静けさに入る前の一撃で吹っ飛んでしまう。
「法悦の詩」もゲルギエフ版があるが、私はこの曲になかなか馴染めないでいる。男女の営みを音楽的に表現したものだと言われるが、経験が浅いせいか(^^;;どうもその気になれない。スヴェトラーノフ版を聴いてみたが、もしこれが「男女の営み」だとするならばあんまりであるとは思った。音楽は相変わらずストレートに押し寄せる音の洪水を聴かせてくれているし、スヴェトラーノフファンならば垂涎の演奏とはなっていると思う。それに、クライマックスのモノ凄さときたら、もはやバーバリアンなエクスタシーに満ち溢れ、更には超新星爆発を起こし宇宙と一体になったかのような感覚さえ覚える。要するにブッ飛び演奏ということだ。たぶんこれが「行為」だとしたら全てのエネルギーを発散し尽くして死んでるな。そうは思ってみても「法悦~」に、乗りきれない自分を感じる。演奏そのものよりも、演奏終了後の聴衆の気が狂ったような絶叫と拍手に驚いてしまう。紳士然としたロンドンの人の秘めたる情熱か?
それでも、狂おしいほどの暑き夏の夜には、これ以上ない濃い音楽ではあった、嗚呼汗だくだよ。