三浦展氏による、最近の階層化社会に関する指摘を総括するような本です。三浦氏はパルコなどで長くマーケティング活動を行ってきた人ですので、最近の階層化についても年代別・性別のセグメンテーションを行い、それぞれのセグメントについて様々な角度から嗜好や結婚観、消費行動、価値観などの変化を示すことで現在の日本、特に最近の若者の姿を炙り出すことに成功しています。
「あとがき」で三浦氏も書いているように、本書に示されたデータはサンプル数が少なく、統計学的にも優位性に乏しい(P.283)
とは思いますが、それでも昨今の時代雰囲気を見事に数字で見せている点、秀逸といえましょうか。逆に時代雰囲気に合うようにデータを選択したという批判もあるかもしれませんが、そんなことをしても何の得にもなりませんから、ここは素直に数字を読み取る方が良いのでしょう。
本書の末尾には「下流社会」を考えるためとして、最近の国内文献リストがずらりと並んでいます。そのほとんどが2001年以降に書かれた本で、21世紀の日本は新たな階層化社会の入口(あるいは岐路)にさしかかっていることを改めて感じさせます。
本書の「はじめに」三浦氏は、
単にものの所有という点から見ると下流が絶対的に貧しいわけではない。では「下流」には何が足りないのか。それは意欲である。中流であることに対する意欲のない人、そして中流から降りる人、あるいは落ちる人、それが「下流」だ。(P.6)
と「下流」を定義します。ここに氏独特の対象に対するアプローチの仕方が現れているようです。マーケティングは「割切り」と「規定」や「線引き」が重要で、ファジーで曖昧な要素とは余り馴染まないものなのかもしれない、などと余計なことを考えてしまいました。
三浦氏が本書で延々と説明している内容を読みながら、読者は自分がどこにカテゴライズされているかを知り、そこで規定されたセグメントの性格と自分考えや価値観に一致や不一致を見出すことになります。私の場合は広義の「新人類世代」にあたりますが、そのものズバリであったり違う世代の価値観を有していたりと、まあイロイロでした。
自分のことはさておき、本書で面白いのは団塊世代と団塊ジュニア世代を比較した場合の価値観の逆転現象(あるいは崩壊)ですが、日本を今のような姿に内面的にも外面的にもしてしまったのは、おそらくは団塊世代に一因があり、たとえば
団塊ジュニア女性の子供が成人したとき、今まさに拡大している格差がさらに拡大し、固定化し、階層社会の現実をまざまざと見せつけられることになるのではないかと懸念される(第7章 「下流」の性格、食生活、教育観 P.235)
と発する警告は、いまを生きている私たちが将来を規定するという意味において、三浦氏の論理を受け入れると拒否するとに関わらず、軽んじて受け止めるべき問題ではないと思います。
もっとも、「おわりに-下流社会を防ぐための「機会悪平等」」の章は、一気に論理を飛躍させており、ちょっといただけないと思うのですが、これは三浦氏ひとつの思考パターンなんでしょうか。
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