最近の新書は「タイトル」が売れ行きを大きく左右するそうです。本書も「モラル・ハラスメント」という聞き慣れないけれど、あれ?もしかして、あのこと?と一瞬心の中に暗い影が差し、恐る恐る本書を手にとってしまう、という人もいるかもしれません。
香山氏によると2006年末に起きた、妻による夫撲殺バラバラ切断事件は
もしかしたら日本ではじめてのモラル・ハラスメント、モラハラが引きがねとなった殺人事件なのではないだろうか(P.6)
とプロローグに書いています。それを読むと、モラハラという言葉を本書で初めて知ったとしても、やっぱり・・・そういうことかと自省の念を深めます。そうするともはや、「新書だし、香山氏の本だし、買うほどのこたねーや」という気持ちを圧することができるほどには気が強くはない自分を認めてしまいます。
モラル・ハラスメントという言葉はフランスの女性精神医学者、マリー=フランス・イルゴイエンヌ医師の著書に出てくる言葉だそうで、
モラル・ハラスメントとは、ことばや態度で繰り返し相手を攻撃し、人格の尊厳を傷つける精神的暴力のこと
と定義されています。本書は意外と気付かないうちにモラハラ被害に合っている多くの人に、「それはモラハラなんだ、自分が悪いと思わないで解決をみつけよう」と訴えると同時に、モラハラを引き起こす原因について、欧米と日本の差異を説明しながら、最後にモラハラ被害者にならないための方策について書かれています。
読み通してみれば、家庭内や職場だけではなく、人間関係が成立する場においては当然のことばかりなのですが、我が身に振り返ってみれば、痛いところが一つや二つではなく猛省する次第。特に相手に対する厳しさや思いやりのなさは「肥大化し歪んだ自己愛的性格」に基づく行動との指摘は確かに本質をついているように思えます。
モラハラについて思い当たる人は、本書をじっくり読んでもらうしかないのですが、それでも本書の指摘で考えてしまったのは以下の点。人がふたり集まればモラハラは起こる
というくだりで、
もちろん、両方(「権力の乱用」と「心の問題」)ともいっさいない「心が健全な人どうしの対等な関係」も理屈上は存在しうるのだが、それがきわめてむずかしいことは、男女関係のあり方を見ればわかる(中略)人間は本来的に対等な関係よりも権力の差がある関係、非対称的な関係の方が落ち着くのかもしれない(P.28~30)
精神科医ともあろうものが、単純な事例だけで上のような仮設を立てて良いものか若干の疑問を感じないわけではありません。
権力的制約のない条件における人間関係における秩序の発生と維持の仕方については、熟考すべき問題のように感じます。香山氏自らが指摘しているように、パワハラと暴力の塊であるようなスポ根マンガやドラマが、高度成長期の日本で受容されていたということ。現在においては「オレ様化」「おひとりさま」「自分探し」という言葉が流行る様に、他者よりも「自己」に愛情のベクトルが向う傾向が指摘されています。社会的成熟(?)は自己愛的性格の人間を増加させるものなのか、あるいは時代がそれを解放するだけなのか。これらは経済、社会、そして文化・宗教的背景と密接に結びついてはいないでしょうか。社会と人間精神に関する深い洞察が必要な気がしています。
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